大庭源之丞(読み)おおばげんのじょう

精選版 日本国語大辞典 「大庭源之丞」の意味・読み・例文・類語

おおば‐げんのじょう【大庭源之丞】

江戸初期の駿河国静岡県深良村名主。寛文六年(一六六六)から四年の歳月をかけて箱根用水を完成させた。生没年不詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大庭源之丞」の意味・わかりやすい解説

大庭源之丞
おおばげんのじょう

没年不詳。江戸前期、駿河(するが)国駿東(すんとう)郡深良(ふから)村(静岡県裾野(すその)市)の名主(なぬし)。箱根用水の地元発企者。代々深良村名主役にあたる大庭家に生まれる。深良村(旗本領)を含む付近の村々は、水利に恵まれず日損田(にっそんでん)や未開発地が多かった。その対策を思案していた源之丞は、江戸・浅草の商人友野与右衛門(とものよえもん)(駿府(すんぷ)の商人、あるいは信州佐久伴野(さくともの)生まれの工人ともいう)らが箱根外輪山に隧道(ずいどう)をあけて芦(あし)ノ湖の水をこの地に送る計画をたてたのに参画、幕府に許可を願い出た。1666年(寛文6)ようやく工事の許可が下り、同年友野を元締(もとじめ)に着工、71年完成、通水を開始した。これにより、この用水の水掛地(みずかかりち)の生産性は大いにあがった。しかしこの工事には箱根関所とのかかわりも加わって幕府の圧迫も強く、また難工事で枯渇ぎみの資金事情もあって、源之丞は幕府、元締および労務提供の農民たちの間に挟まれ格別な苦心をした。友野らに対する幕府の圧迫は工事完成後も続き、彼らはまもなく行方不明となるが、幕府の手により殺されたという伝承もある。源之丞の没年不詳は、この友野らの運命にかかわったものかも知れない。

[若林淳之]

『『静岡県駿東郡誌』(1917・駿東郡役所)』『タカクラ・テル著『箱根用水』改訂版(1971・東邦出版)』

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朝日日本歴史人物事典 「大庭源之丞」の解説

大庭源之丞

没年:元禄15.2.9(1702.3.7)
生年:生年不詳
箱根用水(深良用水)開削発起人となった江戸前期の駿河国駿東郡深良村(裾野市)の名主。当時駿東郡東部の多くの村々は水不足に悩まされていたため,源之丞が発起人となって友野与右衛門らを元締とする箱根用水開削を計画。与右衛門ら4名の元締が源之丞に差し出した証文には,この事業が「御発起」大庭源之丞の「草分ケ御手引ニ付」行われたものであり,用水完成後は恩謝として7カ年上米5石を差し出すとしている。その中心となる芦ノ湖から駿東郡側へ湖尻峠山裾を1280m余を掘り抜く隧道工事は寛文6(1666)年に着工,10年に竣工,通水した。用水は隧道工事に続く新川普請によって11年に完成をみるが,この結果多くの畑成田(畑が田に変わったもの)が生まれたため,畑成田出精褒賞金として小田原藩より金3分を与えられた。<参考文献>『裾野市史』6巻,静岡県芦ノ湖水利組合編『深良用水の沿革』

(関根省治)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大庭源之丞」の解説

大庭源之丞 おおば-げんのじょう

?-1702 江戸時代前期の治水家。
駿河(するが)(静岡県)駿東(すんとう)郡深良村の名主。水不足解消のため芦ノ湖の水を隧道(すいどう)をつくってながす箱根用水計画を立案した。友野与右衛門らを元締めに寛文6年着工,技術的困難や資金難にくるしみながら10年通水に成功。530haをうるおした。元禄(げんろく)15年2月9日死去。

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