大徳寺文書(読み)だいとくじもんじょ

改訂新版 世界大百科事典 「大徳寺文書」の意味・わかりやすい解説

大徳寺文書 (だいとくじもんじょ)

京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山,大徳寺の本坊が収蔵する日本中世近世古文書。中世の部分については,すでにその全体(計約3400点)が,《大日本古文書》として刊行されている。中世文書の保存の現状は,巻軸に装潢(そうこう)され別置された文書,甲から庚までの番号を有する七つの重書箱に収められた文書,および近世文書中より選び出された箱外文書の三つに分けることができる。第1の装潢別置分の文書は,〈宗峰妙超花園天皇問答頌幷花園天皇投機頌〉〈後醍醐天皇宸翰置文〉〈宗峰妙超自筆書状〉〈徹翁義亨筆但馬国安養寺制法〉〈大徳寺諸庄園文書目録〉などの国宝,重要文化財を多数含み,さらに,歴代の天皇の綸旨・院宣や,武家禁制・朱印状などを収めている。その他の重書箱文書と箱外文書は,内容的には,本坊などに伝存した本寺関係の文書のほか,近世以降本坊の有に帰した竜翔寺,徳禅寺如意庵,大用庵,松源院,養徳院などの諸塔頭(たつちゆう)の文書に区分することができる。それらのおのおのについては,中世のある時期に文書目録が作成されている場合が多く,文書群の状態に関する目安をつけるのに便である。時代的には,手継・関連文書の形で流入した平安・鎌倉期の文書もあるが,おもに大徳寺が創建されて以降の南北朝・室町戦国・織豊期の文書が多い。遺偈,二大字,印可状などの嗣法関係文書および住持諸塔主幷役者連署の壁書・規式などの寺内文書のほかは,おもに大徳寺が中央・地方で獲得した土地・荘園訴訟や経営にかかわる寄進状安堵状,検注帳,売券などの類が多く,とくに室町・戦国期の社会経済史研究に貢献するところが大きい。なお,本坊所蔵に帰していない量的にまとまった塔頭文書としては,真珠庵文書(真珠庵現蔵),黄梅院文書(京都大学現蔵)などが知られている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「大徳寺文書」の意味・わかりやすい解説

大徳寺文書【だいとくじもんじょ】

京都市北区にある大徳寺本坊に所蔵される中世から近世にいたる文書群。中世に属する文書は約3400点で,時代的には一部平安・鎌倉時代のものも含むが,大徳寺創建以降の南北朝期から織豊期に至るものが大部分である。本坊伝来の本寺関係の文書のほか,近世以降本坊にした諸塔頭関係の文書も含み,内容的には遺偈(ゆいげ)・印可状(いんかじょう)など嗣法関係,壁書など寺内関係のほか,寺領の経営・訴訟関係文書などからなる。中世文書は〈大日本古文書〉の《大徳寺文書》として刊行されている。なお本坊所蔵以外の大徳寺塔頭文書として,真珠庵文書・黄梅院文書などがある。
→関連項目小宅荘

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大徳寺文書」の意味・わかりやすい解説

大徳寺文書
だいとくじもんじょ

臨済(りんざい)宗大徳寺派大本山大徳寺(京都市)の本坊が所蔵する中世・近世の古文書。手継(てつぎ)・関連文書の形で流入した平安・鎌倉期の文書も含むが、おもに1324年(正中1)の大徳寺創建以降の文書からなる。遺偈(いげ)、印可(いんか)状、規式(きしき)住持諸塔主(たっす)ら連署の壁書(かべがき)などの嗣法(しほう)・寺規にかかわるもののほかは、ほとんどの文書が大徳寺が中央や地方で獲得した土地・荘園(しょうえん)にかかわる訴訟文書、寄進状、売券(ばいけん)などで、中世後期の法制史・経済史研究に資するところが大きい。また、地方に広範な教線を広げた林下(りんげ)の禅の作風にふさわしく、赤松、大内、河野、朝倉、斯波(しば)、織田(おだ)などの地方武家の発給文書をまとまった形で含むことが特徴である。中世文書総計約3400点は『大日本古文書 家わけ17』として刊行されている。

[保立道久]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android