大東義徹(読み)おおひがし・ぎてつ

朝日日本歴史人物事典 「大東義徹」の解説

大東義徹

没年:明治38.4.8(1905)
生年天保13.7(1842)
明治期の政党政治家彦根藩小西貞徹の子に生まれる。のち,姓を大東改名。井伊直弼がいた彦根藩であったが,幕末には国事に奔走,同藩を勤王側に導き,戊辰戦争(1868~69)では官軍につく。維新後,岩倉遣外使節団として欧米諸国を巡遊,しかし征韓論争では西郷隆盛を支持して下野,彦根で集議社を結成し民権運動を開始する。西南戦争(1877)では西郷と結び下獄した。明治23(1890)年第1回総選挙に出馬当選,議会では対外硬派として活動し,のち憲政党入党,31年には第1次大隈内閣で司法大臣となる。「近江の西郷」といわれ,威容凜々として動乱期の彦根をリードした。

(季武嘉也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大東義徹」の解説

大東義徹 おおひがし-ぎてつ

1842-1905 明治時代の政治家。
天保(てんぽう)13年7月生まれ。もと近江(おうみ)(滋賀県)彦根藩士。維新後司法省権少判事となり,明治4年岩倉遣欧使節団に随行。西南戦争では西郷軍にくわわろうとして逮捕される。23年衆議院議員(当選7回)。31年憲政党創立委員となり,第1次大隈内閣の法相。明治38年4月8日死去。64歳。本姓は小西。旧名は中口大蔵。

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