大橋乙羽(読み)おおはしおとわ

精選版 日本国語大辞典 「大橋乙羽」の意味・読み・例文・類語

おおはし‐おとわ【大橋乙羽】

小説家本名太郎硯友社に加わり、小説露小袖」などを発表。出版社博文館支配人としても活躍。明治二~三四年(一八六九‐一九〇一

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デジタル大辞泉 「大橋乙羽」の意味・読み・例文・類語

おおはし‐おとわ〔おほはしおとは〕【大橋乙羽】

[1869~1901]小説家・出版人。山形の生まれ。旧姓渡部。本名、又太郎。硯友社同人。博文館館主大橋佐平の長女と結婚して、博文館支配人として活躍した。小説「露小袖」、紀行文集「千山万水」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大橋乙羽」の意味・わかりやすい解説

大橋乙羽
おおはしおとわ
(1869―1901)

小説家、出版業者。旧姓渡部(わたなべ)。本名又太郎。山形県生まれ。文学を志して上京、硯友社(けんゆうしゃ)の同人となり、『露小袖(つゆこそで)』(1890)、『霜夜の虫』(1891)などを発表し文名をあげた。著作集『若菜籠(かご)』(1898)、『花鳥(かちょう)集』(1899)、政治小説『累卵之(るいらんの)東洋』(1898)などの著書がある。1894年(明治27)博文館主大橋佐平の娘と結婚、博文館の営業に力を尽くしたが、1900年(明治33)世界漫遊に出かけ、帰国後翌明治34年病没した。紀行文家としても知られ、紀行文集に『千山万水』(1899)などがある。

[畑 実]

『『明治文学全集22 硯友社文学集』(1969・筑摩書房)』『『明治文学全集94 明治紀行文学集』(1974・筑摩書房)』

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朝日日本歴史人物事典 「大橋乙羽」の解説

大橋乙羽

没年:明治34.6.1(1901)
生年:明治2.6.4(1869.7.12)
明治時代の小説家,紀行作家。旧姓渡部。本名又太郎。別号を乙羽庵,二橋生,蚯蚓庵。山形県米沢生まれ。旅館音羽屋の主人渡部治兵衛,かつの6男。明治21(1888)年『出羽新聞』に出した磐梯山大爆発の記事を東陽堂の社主に認められ,上京して東陽堂に入社。『風俗画報』『絵画叢誌』の編集に当たる。同22年石橋思案の紹介で硯友社の同人となり,同年「こぼれ松葉」,翌年「露小袖」などの作品を発表。明治24年『中央新聞』の記者を兼ね,27年博文館主人大橋佐平の娘婿となり,博文館に入社。33年欧米を漫遊するも,翌年33歳の若さで病死。<参考文献>『硯友社文学集』(明治文学全集22巻)

(佐伯順子)

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百科事典マイペディア 「大橋乙羽」の意味・わかりやすい解説

大橋乙羽【おおはしおとわ】

小説家,編集者。本名又太郎。旧姓渡部。羽前国生れ。硯友社同人となり,《こぼれ松葉》《露小袖》を書いたが,のち博文館主大橋佐平の養子となり出版事業を行う。ほかに紀行文《千山万水》などもある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大橋乙羽」の解説

大橋乙羽 おおはし-おとわ

1869-1901 明治時代の小説家,出版人。
明治2年6月4日生まれ。22年硯友(けんゆう)社同人となり「露小袖」などを発表。27年博文館主大橋佐平の娘婿となり,支配人として出版事業を発展させた。明治34年6月1日死去。33歳。羽前(うぜん)(山形県)出身。旧姓は渡部。本名は又太郎。著作はほかに「上杉鷹山公」「千山万水」など。

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