大田区(読み)オオタク

デジタル大辞泉 「大田区」の意味・読み・例文・類語

おおた‐く〔おほた‐〕【大田区】

大田

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日本歴史地名大系 「大田区」の解説

大田区
おおたく

面積:五九・四六平方キロ

東京都の南東端に位置し、北は品川区、西は目黒区・世田谷区、南は多摩川を境に神奈川県川崎市川崎区・さいわい区・中原なかはら区に接し、東は東京湾に臨む。地形は北部・西部は武蔵野台地の先端部(荏原台・多摩川台)にあたり、多摩川左岸沿いと東部は沖積低地である。臨海部はほぼ埋立地で、大井おおい埠頭・城南じようなん島・平和へいわ島・昭和しようわ島・京浜けいひん島が並び、その南に羽田はねだ空港(東京国際空港)の敷地が広がる。南北の交通路は国道一号(第二京浜国道)、近世東海道の後身である国道一五号(第一京浜国道)、同国道から大森おおもりで分岐する国道一三一号(産業道路)、国道三五七号(湾岸道路)のほか中原なかはら街道(近世の中原往還の後身。主要地方道東京―丸子―横浜線)池上いけがみ(近世の池上道の後身)などがあり、東西は環状七号(環七通)・環状八号(環八通)が幹線である。鉄道は明治五年(一八七二)九月の神奈川県横浜―新橋しんばし(現港区)間開通を嚆矢に、大正期からは私鉄路線が次々に営業を開始した。現在はJR東海道・山陽新幹線、東海道本線・京浜東北線、横須賀線(品鶴線)、東急電鉄大井町線・池上線・目黒線・東横線・多摩川線、京浜急行(本線・空港線)、東京モノレール、都営地下鉄浅草線が縦横に走る。区域には日本の製造業を支える機械工業が集中しており、工場数・従業員数とも二三区で最も多い。一方、田園調布でんえんちようふ地域に代表される住宅地面積も広く、日蓮終焉地に建立された池上本門寺が埋立地を除く区のほぼ中央にあって威容を誇る。大森西五丁目に東邦大学がある。

〔原始・古代〕

区内の遺跡は多摩川下流域左岸とのみ川流域の台地上とその沖積低地に多く分布する。区内最古の遺跡は旧石器時代後期の久原小学校内くがはらしようがつこうない遺跡で、一時的な石器製作所跡とされている。縄文時代では草創期後半の住居跡が桜橋付近さくらばしふきん遺跡で発見されている。前期の海進期には貝塚が多く形成され、雪ヶ谷ゆきがや貝塚の所在地などに大規模な集落が営まれた。中期では骨角器を胸に着装した熟年男性の埋葬人骨が千鳥窪ちどりくぼ(千鳥久保)貝塚で発掘されている。後期前半では犬埋葬土壙が馬込まごめ貝塚で多く発見され、後期後半にはモースの発見した大森貝塚が形成された。晩期前半では昆虫形土製品などの珍品を出土する下沼部しもぬまべ貝塚がある。弥生時代では中期後半に水稲農耕集落(山王遺跡など)が成立し、後期になると久が原くがはらに南関東有数の拠点集落(久ヶ原遺跡)が形成され、周辺に多くの派生集落が営まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大田区」の意味・わかりやすい解説

大田〔区〕
おおた

東京都 23特別区の1つ。東京都の南東端に位置し,多摩川をへだてて神奈川県川崎市に対する。 1947年大森区と蒲田区が合併して成立。区名はそれぞれ1字ずつとってつけられた。区の西部と北部は洪積台地,東部と南部は沖積低地や江戸時代以来の埋立て地。縄文時代後期の遺跡である大森貝塚 (史跡) のほか,亀甲山古墳 (かめのこやまこふん。史跡) をはじめとする古墳時代の遺跡もみられる。明治後期から沖積低地に工場の進出が始り,京浜工業地帯を形成。電機,精密機械,産業機械,食品工場や部品工場が立地。大正後期から東京急行電鉄目蒲・池上・東横線沿線に住宅地の造成が始り,洪積台地上は住宅地帯となった。なかでも田園調布は高級住宅地として有名。アサクサノリの産地であった海岸地方は羽田の東京国際空港,流通センター,工場地帯に変貌。池上本門寺,穴守稲荷などがある。東京急行電鉄各線のほか,JR京浜東北線,京浜急行電鉄本線,空港線,東京モノレール,都営地下鉄浅草線,首都高速湾岸線,1号羽田線,国道1号線,131号線が通る。面積 61.86km2。人口 74万8081(2020)。

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