精選版 日本国語大辞典 「大神神社」の意味・読み・例文・類語
おおみわ‐じんじゃ おほみわ‥【大神神社】
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「古事記」神代巻には、
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奈良県桜井市三輪に鎮座。大物主(おおものぬし)神をまつる。大和国の一宮。旧官幣大社。三輪神社,三輪明神ともいう。歴史的には,最も古式の信仰形態をとどめる神社として有名。すなわち,大和盆地の南東に麗姿を示す三輪山を神体とし,これを遥拝する。祭神は,《古事記》には〈意富美和(おほみわ)之大神〉,《日本書紀》では〈大物主大神〉とされる。この神は,《古事記》神武段では三嶋湟咋(みしまみぞくい)の娘の勢夜陀多良(せやだたら)との,同崇神段では陶津耳(すえつみみ)の娘の活玉依毘売(いくたまよりびめ)との神婚説話を伝えている。神社の起源は,記・紀ともに,崇神天皇のとき疫病がはびこった際に,大物主神の子の大田田根子(おおたたねこ)に命じてまつらせたのに始まるとする。大田田根子は,この神の祭祀に当たった三輪君氏に始祖とされた。こうした所伝をもつ大神神社には,その近辺に前期古墳を伴い,中でも南方の茶臼山古墳,西方の箸墓(はしばか)古墳,北方の崇神天皇陵などが有名である。さらに,出雲国造が奏上した神賀詞(かむよごと)では,〈大穴持(おおなもち)命〉の和魂(にぎみたま)の〈大物主櫛𤭖玉(おおものぬしのくしみかたま)命〉を献上して三輪山に鎮座させた,と述べている。
大神神社は,律令制下においても朝廷から厚遇され,神戸を与えられ,しばしば奉幣をうけた。とくに奈良時代中期からそれが目だち,737年(天平9)いらいたびたび奉幣をうけ,765年(天平神護1)には神戸160戸が与えられ,850年(嘉祥3)に神階の正三位をうけたあと859年(貞観1)には正一位を授けられた。延喜の制では,名神大社の一つとされ,22社のうち第9位として祈年・月次(つきなみ)・相嘗・新嘗祭に案上の官幣ならびに祈雨の幣にあずかることと定められた。中世以降,神仏習合によって両部神道系の三輪神道が成立すると,密教系の教義と行法によって人々の信仰をあつめ,近世江戸時代には,朱印地60石のほか百数十石の社領を所有した。この間,大神神社の神木杉を清浄とみる禁忌や大物主神を造酒神としたり味酒(うまざけ)が〈みわ〉の枕詞であるところから,とくに造酒家の信仰を集めた。それとともに,神木杉の葉の玉が造酒家の標示としてひろまったが,これに現世利益を信仰する農民・商工民の信者を加えて,今日に及んでいる。
神社の形態もしだいにととのったが,大神神社では神殿がなく,神体の三輪山と拝殿との間に三輪鳥居(普通の鳥居の左右に小鳥居を付けた独特の様式)をおくのを特色としている。例祭は,平安時代いらい4月上卯(3卯のときは中卯)とされてきたが,近代には4月9日となった。ほかに,繞道祭(1月1日),御田植祭(2月6日),鎮花祭(4月18日)などの特殊神事がある。摂社には,狭井坐大神荒魂神社,玉列神社,神坐日向神社,率川(いさかわ)坐大神御子神社などの式内社のほか,檜原(ひばら)神社,高宮神社,磐座(いわくら)神社,大直禰子神社,活日(いくひ)神社,綱越神社,神御前神社などがある。
→三輪山伝説
執筆者:門脇 禎二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県桜井市三輪(みわ)町に鎮座。祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)(また倭大物主櫛玉命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと))、配祀(はいし)は大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。神話によれば、少彦名神が常世(とこよ)の国に去ったあと、独力で国造りをしていた大己貴神の前に、国造りをともにするため海上より出現した大物主大神(大己貴神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)ともいう)を、その意志によって御諸山(みもろやま)(三輪山)に祀(まつ)ったのが起源であるという。三輪山を神体山とし、太古以来本殿はない。山麓(さんろく)に拝殿(国の重要文化財)があり、その奥に三輪鳥居(国の重要文化財)が立つ。『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社、大和(やまと)国一宮(いちのみや)、明治の官制では官幣大社。例祭は4月9日。ほかに、元旦に神火を松明(たいまつ)に移して参詣(さんけい)者に分かつ繞道祭(にょうどうさい)(御神火祭)、2月6日の御田植祭(おんださい)、薬草を供える4月18日の鎮花祭(はなしずめのまつり)、印(しるし)の杉玉を酒造家に授ける11月14日の酒まつり、摂社率川(いさがわ)神社(奈良市本子守(ほんこもり)町)の6月17日の三枝祭(さいくさのまつり)(百合(ゆり)祭)などが有名。なお、神宮寺であり中世以降三輪神道を発達させた大御輪寺(だいごりんじ)と平等寺は、明治初年に廃され、大御輪寺の本堂は摂社大直禰子(おおたたねこ)神社(本社境内)の本殿(重要文化財)に転用、その本尊十一面観音立像は聖林寺(しょうりんじ)(桜井市下(しも))に移された。拝殿の前を南北に通る古道は、いわゆる「山辺(やまのべ)の道」である。
[谷 省吾]
『『大神神社史』(1975・大神神社社務所)』
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三輪明神とも。「延喜式」では大神大物主神社。奈良県桜井市三輪に鎮座。式内社・大和国一宮。二十二社中社。旧官幣大社。祭神は倭大物主櫛𤭖玉(やまとおおものぬしくしみかたま)命・大己貴(おおなむち)命・少彦名(すくなひこな)神。記紀によれば,崇神(すじん)天皇のとき,夢枕により大田田根子(たねこ)を神主としてこの神を祭り,疫病を鎮めたという。三輪山を神体とし,神殿を設けていないことで知られる。古くから朝廷に信仰され,859年(貞観元)正一位。例祭は4月9日。1664年(寛文4)徳川綱吉により造営された拝殿は重文。鳥居は明神鳥居の左右に小さな鳥居をつけたもので,三輪鳥居とよばれる。神祇令に規定される鎮花祭は,当社と狭井(さい)神社の祭祀。境内は国史跡。
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…日本の農耕にかかわる信仰は古い歴史をもつが,信仰の対象を物的に明示する方法は,長い間自然の一部をそのまま神聖視する素朴な段階にとどまっており,それが建築という形態をとるのはかなりのちのことと考えられる。奈良県の大神(おおみわ)神社,埼玉県の金鑽(かなさな)神社などが現在でもそうであるように,祭神をまつるべき本殿がなく背後の山を神体としたものがあり,また社すなわち杜(もり)が神域を示すという理解は古代以来きわめて普遍的であった。人工的な工作物をもって神の宿るところとしたもっとも単純なものは,一本の独立した柱を地上に立てることであって,この場合一本の柱はそのまま杜の象徴にほかならない。…
…麴(こうじ)
[来歴]
《播磨国風土記》にはカビの生えた乾飯(かれいい)で酒をかもしたという伝承が記載されており,日本では8世紀初頭すでに酒造にこうじが用いられていたことをうかがわせる。古来,酒造の神として信仰を集めてきたのは奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社,京都市の梅宮(うめのみや)大社,松尾(まつのお)大社の3社であった。このうち松尾大社は朝鮮からの渡来氏族秦(はた)氏の氏神として701年奉斎されたが,5世紀後半ころこの地に秦の民が集められたさい伴造(とものみやつこ)に任ぜられた秦酒公(さけのきみ)は酒造技術者であったと考えられ,彼らの指導が古代日本の酒造を育成したと考えられる。…
…疫病が流行しないようにと疫癘(えきれい)を鎮めるまつり。神祇令の鎮花祭は注釈〈義解〉によると,毎年旧暦3月(季春)に奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社と,同神社の摂社である狭井(さい)神社(狭井坐大神荒魂神社)の二つのまつりで,それは春の花が飛び散るときに,疫神が分散して病気を流行させるので,これを鎮めるために行われるものとある。このまつりの起源は,崇神天皇が大田田根子(おおたたねこ)に三輪の神をまつらせたのがはじまりとされ,その後,平安時代にも盛んに行われた。…
…これが里宮の成立である。大和三輪山の大神(おおみわ)神社,薩摩開聞岳の枚聞(ひらきき)神社などが,いずれも拝殿のみで本殿の構えをもたないのは,山頂を遥拝する里宮であったことを示している。したがって社祠の成立からみると里宮がはやく,山宮はその後であった。…
※「大神神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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