大神高市麻呂(読み)おおみわのたけちまろ

朝日日本歴史人物事典 「大神高市麻呂」の解説

大神高市麻呂

没年慶雲3.2.6(706.3.24)
生年斉明3(657)
7世紀から8世紀初の官僚壬申の乱(672)では大海人皇子(のちの天武天皇)方で活躍。利金の子。安麻呂,狛麻呂の兄。姓は君,天武13(684)年の改姓朝臣三輪高市麻呂,大三輪高市麻呂とも書く。大海人側の大伴吹負軍に加わり,近江軍が大和に侵入した際,上ツ道を防衛し,箸墓(桜井市箸中)の付近で敵軍を壊滅させた。天武天皇の殯宮では理官(のちの治部省)の事を誄した。時に直大肆(従五位上)。持統6(692)年直大弐(従四位上)中納言の職にあって,天皇の伊勢行幸計画に対して,農事を妨げるとして直言し諫めたが容れられなかった。大宝2(702)年長門守に任じられたが,そのとき一族のものが三輪河の辺に集い,送別の宴を設けている(『万葉集』巻9)。その後筑紫国に赴任したこともあったらしいが,翌年左京大夫となっている。死去の際,壬申の乱の功により従三位を贈られた。『歌経標式』に歌があり,『懐風藻』にも漢詩を残すなど,当代随一の文人でもあった。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』『持統天皇

(狩野久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「大神高市麻呂」の意味・わかりやすい解説

大神高市麻呂 (おおみわのたけちまろ)
生没年:657?-706(斉明3?-慶雲3)

7世紀後半の官人。大三輪,三輪にも作る。利金の子。壬申の乱に大海人皇子方で活躍。686年(朱鳥1)9月天武天皇の殯宮に理官(おさむるつかさ)の事を奏す。時に直大肆。692年(持統6)2月および3月,中納言直大弐のとき,持統天皇の伊勢行幸を農事の妨げになるとして諫めた。702年(大宝2)正月従四位上で長門守,翌年6月左京大夫に転じ,706年2月その地位で没したが,壬申の年の功により従三位を贈られた。また筑紫国に赴任したこともある。《万葉集》《懐風藻》に歌,漢詩を残している。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大神高市麻呂」の解説

大神高市麻呂 おおみわの-たけちまろ

657-706 飛鳥(あすか)時代の公卿(くぎょう)。
斉明(さいめい)天皇3年生まれ。大神利金の子。壬申(じんしん)の乱で戦功をたてる。持統天皇6年中納言のとき,農事の妨げになるとして伊勢(いせ)行幸の中止を進言した。のち長門守(ながとのかみ),左京大夫。「懐風藻(かいふうそう)」「万葉集」に詩歌がある。慶雲(きょううん)3年2月6日死去。50歳。従三位を追贈された。姓は大三輪ともかく。
【格言など】農作の節(とき),車駕(みくるま)いまだ動くべからず(「日本書紀」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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