大秦寺(読み)たいしんじ

精選版 日本国語大辞典 「大秦寺」の意味・読み・例文・類語

たいしん‐じ【大秦寺】

〘名〙 (「だいしんじ」とも) 中国、唐代のネストリウス派キリスト教景教)の寺院をいう。はじめ、波斯寺と呼ばれたが、景教が大秦ローマ帝国)の宗教であることがわかり、玄宗の命で大秦寺と呼ばれた。唐の都、長安の大秦寺が著名。〔僧史略‐巻下・大秦末尼〕

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デジタル大辞泉 「大秦寺」の意味・読み・例文・類語

たいしん‐じ【大×秦寺】

中国、代に長安など各地にあったネストリウス派キリスト教(景教)寺院の称。はじめ波斯はし寺とよばれたが、のち、大秦の宗教であることから改められた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大秦寺」の意味・わかりやすい解説

大秦寺
たいしんじ

中国の景教(けいきょう)(ネストリウス派のキリスト教)寺院のこと。当初景教は波斯(はし)(ペルシア経教と称されたが、のち大秦(ローマ帝国)景教といわれるようになると、その教会も波斯寺から大秦寺とよびかえられるようになった。唐王朝の保護のもとで、景教初伝3年後の638年、まず長安の都に一寺が建立され、ついで高宗(649~683)の時代に全国各州に建てられたという。景教は鎮護国家の宗教の色彩もあったらしい。781年長安の大秦寺に造立された「大秦景教流行中国碑」が当時の情況を伝えている。

[冨倉光雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大秦寺」の意味・わかりやすい解説

大秦寺
だいしんじ
Da-qin-si; Ta-ch`in-ssǔ

中国,唐代中期のネストリウス派キリスト教 (→景教 ) の寺院。貞観 12 (638) 年ペルシア僧阿羅本らが初めて景教を中国に伝え,長安義寧坊にその寺が建てられ,波斯寺と呼ばれていた。景教が西方の大秦 (ローマ) から興ったのにちなんで,天宝4 (745) 年大秦寺と改称せよという詔が下り,全国の景教教会もこれにならった。建中2 (781) 年には長安の同寺に大秦景教流行中国碑が建立されたが,会昌5 (845) 年の廃仏に伴って廃棄された。

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百科事典マイペディア 「大秦寺」の意味・わかりやすい解説

大秦寺【だいしんじ】

中国,唐代の景教(キリスト教ネストリウス派)寺院の呼称。初め波斯(はし)寺と呼ばれたが,638年阿羅本が太宗の許しを得て,長安の義寧坊に大秦寺を建てて以後この名で呼ばれ,諸州にも建てられた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大秦寺」の解説

大秦寺
たいしんじ

波斯 (はし) 寺

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世界大百科事典(旧版)内の大秦寺の言及

【景教】より

…仏教に傾斜した則天武后の治世には少し衰えたが,玄宗によって保護され,アブラハム(羅含)やガブリエル(及烈)といった有力な僧侶によって大いに教線を拡大した。 当初はこの教えを波斯経教,その寺院を波斯寺,つまりペルシア人の宗教とよんできたが,発生の地がペルシアではなく大秦国であることを知り,745年(天宝4)には詔によって波斯寺を大秦寺と改めることになった。ひきつづき粛宗・代宗・徳宗の治世に優遇され,781年(建中2)には,篤信の居士イズドブジド(伊斯)の出資によって《大秦景教流行中国碑》が建てられたのである。…

※「大秦寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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