大義覚迷録(読み)たいぎかくめいろく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大義覚迷録」の意味・わかりやすい解説

大義覚迷録
たいぎかくめいろく

中国、清(しん)朝の雍正(ようせい)帝の命によって1729年11月に刊行された4巻の書。清朝正統性を説き、かつ悪評の高かった雍正帝即位の正当を強調したもの。呂留良(りょりゅうりょう)の排満論に共鳴した湖南省の曽静(そうせい)は、1728年秋、川陝(せんせん)総督岳鍾琪(がくしょうき)に挙兵を勧誘するも、逆に逮捕された。本書はこのときの尋問と曽の自供、帝の上諭(じょうゆ)などを収め、士人必読の書とされた。曽は初め無罪とされたが、35年乾隆(けんりゅう)帝は曽らを処刑し、本書を発禁処分とした。

[三石善吉]

『小野川秀美「雍正帝と大義覚迷録」(『東洋史研究』16-4所収・1958・東洋史研究会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「大義覚迷録」の意味・わかりやすい解説

大義覚迷録 (たいぎかくめいろく)
Dà yì jué mí lù

中国,清の雍正帝勅命によって1729年(雍正7)刊行された書物。不分巻。雍正帝は,華夷の弁別に厳しかった朱熹(子),呂留良の思想に忠実であった曾静(1679-1736)の謀反画策が発覚したのを契機に,漢民族のなかに満王朝の支配に反対する民族意識がなお根強く存在することを知った。そこで曾静を逮捕して訊問し,その主張に逐一論駁を加えて,みずからの支配の正当性を主張するとともに,この論駁の経過,それに関連する上諭,曾静の転向声明を併せて一書とし,思想教化の道具としたのである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大義覚迷録」の意味・わかりやすい解説

大義覚迷録
たいぎかくめいろく
Da-yi jue-mi-lu; Ta-i chüeh-mi-lu

中国,清朝第5代皇帝の雍正帝が,清朝の正統性を強調するため刊行頒布した書。雍正帝の勅選。4巻。雍正7 (1729) 年刊。清初の朱子学者呂留良の説く華夷思想 (漢民族はすぐれており,異民族は劣るという思想) の影響を受けた曾静が,排満のための挙兵を川陝総督岳鍾きに働きかけて捕えられた事件を契機とする。帝は清朝の正統を主張する論説に曾静らの訊問における問答や,転向するにいたった経過などの記述を加えている。排満思想をしずめる目的で刊行され,官僚,読書人たちの必読の書とした。

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世界大百科事典(旧版)内の大義覚迷録の言及

【禁書】より

…その数は浙江省だけで538種,1万3862部にのぼる。その書目をみると,明・清交代期の歴史はほとんど湮滅(いんめつ)せられ,華夷思想に反論を加えるため雍正帝が編纂せしめた《大義覚迷録》すら禁書となっている。なお《水滸伝》《金瓶梅》《紅楼夢》等の小説は淫詞として一貫して禁止されていた。…

【雍正帝】より

… 対外的には特に積極策をとらなかったが,1724年(雍正2),青海とチベットの反乱を鎮圧して駐蔵大臣を派遣,27年にはロシアとの間にキャフタ条約を結んで国境を画定し,さらに29年にはジュンガルとの戦争に勝利するなど,版図の保持に努めた。その〈御製朋党論〉は官僚が朋党を組むことを禁じたものであり,《大義覚迷録》は,謀反をはかった曾静を訊問して清朝支配の正当性を主張したものであって,専制君主としての自信にあふれた著作である。【小野 和子】。…

※「大義覚迷録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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