大船越瀬戸(読み)おおふなこしせと

日本歴史地名大系 「大船越瀬戸」の解説

大船越瀬戸
おおふなこしせと

江戸時代に開削された瀬戸。寛文一二年(一六七二)一月対馬藩主の宗義真の命で起工権現ごんげん山の鞍部を掘割って長さ六〇間・幅一〇間の人工の瀬戸が六月下旬に開通した。郡奉行の志賀甚五右衛門成広の監督のもと延べ三万五千人の公役を動員したもので、藩政史上有数の事業であった(対州編年略・津島紀事)。のち数次の拡張工事が行われ、現在では長さ二四〇メートル・幅五〇メートルを超える規模。この開通で対馬島の東西水路が直結し、島の通運は利便を得たが、ことに西海にしめの貢租物資を府中ふちゆう(現厳原町)に運送するのに役立った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大船越瀬戸」の意味・わかりやすい解説

大船越瀬戸
おおふなこしせと

長崎県対馬のほぼ中央にある浅茅湾東側の瀬戸。ケスタ地形の低部にあたり,朝鮮貿易盛期であった寛文 12 (1672) 年に対馬藩宗氏によって開削された。今日でも漁船の重要な通路である。浅茅湾に面して漁港の大船越がある。

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世界大百科事典(旧版)内の大船越瀬戸の言及

【美津島[町]】より

…地形はほとんどが標高200m以下の丘陵性山地であるが,西部は白嶽(しらだけ)(515m)を最高峰とする山地が急傾斜をなして海に迫る。浅茅湾と対馬海峡(東水道)を結ぶ大船越瀬戸は1672年(寛文12)に,万関(まんぜき)瀬戸は1900年に開削されたもので,東西海域を結ぶ航路となっている。町域を国道382号線が縦貫し,大船越西部には対馬空港(1975完成)がある。…

※「大船越瀬戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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