大西洋憲章(読み)たいせいようけんしょう(英語表記)Atlantic Charter

翻訳|Atlantic Charter

精選版 日本国語大辞典 「大西洋憲章」の意味・読み・例文・類語

たいせいよう‐けんしょう タイセイヤウケンシャウ【大西洋憲章】

第二次世界大戦中、一九四一年八月、イギリス首相チャーチルアメリカ大統領ルーズベルト大西洋上で会談、発表したもの。全八か条。戦後の世界秩序についての構想をその内容とし、アメリカはこの憲章で孤立主義を捨ててファシズム打倒、民主的平和樹立の責任をとることを明言した。国連憲章の基礎となったことで有名。

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デジタル大辞泉 「大西洋憲章」の意味・読み・例文・類語

たいせいよう‐けんしょう〔タイセイヤウケンシヤウ〕【大西洋憲章】

1941年8月、英国首相チャーチルと米国大統領ルーズベルトが大西洋上で会談して発表した共同宣言第二次大戦と戦後の世界秩序についての構想を示したもので、領土の不拡大、政体選択の自由、各国間の経済協力、恐怖および欠乏からの解放、公海の自由、武力行使の放棄などを内容とし、のちの国連憲章の基本理念となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「大西洋憲章」の意味・わかりやすい解説

大西洋憲章 (たいせいようけんしょう)
Atlantic Charter

1941年8月14日,イギリスのチャーチル首相とアメリカのF.ローズベルト大統領とが発した共同宣言。戦後世界に関してほぼ次のような八つの原則を提示した。(1)イギリス,アメリカ両国の領土不拡大,(2)住民の意思に反する国境変更に反対,(3)人民の政治体制選択権の尊重,(4)通商制限緩和と原料資源への接近の平等,(5)諸国家間の経済協力,(6)欠乏と恐怖からの自由,(7)公海自由,(8)一般的安全保障制度確立まで侵略国を武装解除。なお,チャーチルは帰国後,インドとビルマ(現ミャンマー)には憲章が適用されない旨声明している。

 共同宣言発表に先立つ会談が,ニューファンドランド沖のイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズとアメリカ巡洋艦オーガスタの艦上で行われたこともあって,大西洋憲章の名があるが,この会談は第2次世界大戦勃発後最初の米英巨頭会談であった。当時イギリスは大陸を席巻したナチス・ドイツを相手にしてアメリカの援助を絶対に必要としていた。他方アメリカは,依然参戦には慎重だったものの,実質的にはイギリスにしだいに強く肩入れを行うようになっていた。このようななかでチャーチルとローズベルトが会談をもったことは,たとえローズベルトがこの段階では参戦を確約しなかったにしてもアメリカのイギリス側に対する荷担を明確にするものであったし,その際発表された大西洋憲章が,枢軸国側に対する戦争目的を明らかにして戦後の世界像を先取りしてみせたことの意味は大きかった。同年9月15日には,ドイツ,イタリアと交戦状態にあったソ連を含む15ヵ国がこの憲章に賛同した旨が発表されている。そしてその後太平洋戦端が開かれてからは,42年1月1日の連合国共同宣言へと大西洋憲章の内容は継承され,国際連合の創設理念の一つの源泉となったのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大西洋憲章」の意味・わかりやすい解説

大西洋憲章
たいせいようけんしょう
Atlantic Charter

1941年8月14日に発表されたイギリス、アメリカ両国の世界政治に対する原則の共同宣言。英米共同宣言ともいわれる。第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)して約2年後、ドイツのソ連侵略開始(1941.6.22)によって大戦は新しい局面を迎えた。同年8月9日、イギリスのチャーチル首相は新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号に乗艦、大西洋を渡りカナダのニューファンドランド島アージェンティア湾で、アメリカのルーズベルト大統領と会談、その後しばしば開かれた首脳会談の端緒をつくった。会談は同月12日まで開かれ、8項目からなる両国の共同宣言が、チャーチル首相の無事帰国を待って発表された。すなわち、〔1〕領土の不拡大、〔2〕国民の合意なき領土変更の不承認、〔3〕国民の政体選択の権利の尊重と、奪われた主権の回復、〔4〕通商と原料の均等な開放、〔5〕各国間の経済協力、〔6〕ナチス暴政の打倒と、恐怖と欠乏からの解放、〔7〕海洋航行の自由、〔8〕武力使用の放棄と、恒久的な一般的安全保障体制の確立、である。当時、アメリカは、ヨーロッパとアジアの戦争に対し、中立国の立場にあったが、孤立するイギリスへの道義的、物質的支援が自国の国益に合致する、とのルーズベルト大統領の判断で、異例の会談の開催、共同宣言の発表となったものである。これにより、アメリカは、ドイツとの対決姿勢を、それまで以上に明確にした。大西洋憲章は、約4か月後のアメリカの参戦を経て、42年1月1日に発表された連合国共同宣言においても冒頭で強調され、継承された。

[藤村瞬一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大西洋憲章」の意味・わかりやすい解説

大西洋憲章
たいせいようけんしょう
Atlantic Charter

1941年8月 14日に発表された F.ルーズベルトと W.チャーチルの共同宣言で,第2次世界大戦後の世界平和回復のための基本原則を定めたもの。その原則的趣旨は,42年1月1日の連合国共同宣言にも取入れられた。その交渉が北大西洋上のイギリス軍艦『プリンス・オブ・ウェールズ』とアメリカ巡洋艦『オーガスタ』上で行われたので,一般に大西洋憲章と呼ばれている。その要旨は (1) 両国は領土の拡大を求めない,(2) 関係国民の自由に表明する希望と一致しない領土的変更を欲しない,(3) すべての国民がその政体を選択する権利を尊重し,強奪された主権と自治が回復されることを希望する,(4) すべての国に対し,世界の通商および原料が均等に開放されるよう努力する,(5) 改善された労働条件,経済的進歩,および社会保障を確保するための国際的協力を希望する,(6) ナチの暴政を破壊したのち,全人類を恐怖と欠乏から解放することを希望する,(7) 全人類が妨害を受けることなく海洋を航行できるようにする,(8) 侵略の脅威を与える国の武装を解除し,恒久的な全般的安全保障制度を確立することに努め,また軍備負担の軽減を助長すること,である。特にこの第8項は,国際連合の設立につらなっていくので,重要な意義をもっている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大西洋憲章」の解説

大西洋憲章(たいせいようけんしょう)
Atlantic Charter

1941年8月,戦争拡大の危機を前にアメリカのローズヴェルト(フランクリン)大統領とイギリスのチャーチル首相が,大西洋上で会見し共通する諸問題を討議し,その際発表された宣言。全8カ条からなり,領土不拡大,民族自決,貿易の自由と拡大,労働条件と社会保障の改善,海洋の自由,軍備縮小,平和機構の再建が主張されている。発表後ただちにソ連などはこの支持を表明し,太平洋戦争が始まると,42年1月この憲章にもとづく連合国共同宣言が発表された。これらに示された基本理念にもとづいて国際連合が成立する。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大西洋憲章」の解説

大西洋憲章
たいせいようけんしょう
Atlantic Charter

1941年8月,イギリスのチャーチル首相とアメリカのF.ローズヴェルト大統領が大西洋上で会談・発表した共同宣言
第二次世界大戦後に「戦争のない,最良の世界」をつくるための世界構想を明示。第一次世界大戦後におけるウィルソン大統領の十四か条の平和原則によく似た内容の8か条からなり,領土不拡大,民族自決,主権在民,国際経済協力,武力行使の放棄,恒久的安全保障体制の樹立などの原則が示された。9月には15か国が支持を表明し,これにもとづき1942年1月連合国共同宣言が発表され,この構想は国際連合憲章に生かされた。

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百科事典マイペディア 「大西洋憲章」の意味・わかりやすい解説

大西洋憲章【たいせいようけんしょう】

1941年8月14日,米国大統領F.ローズベルトと英国首相チャーチルにより発せられた共同宣言。領土不拡大,民族自決,通商・資源の均等解放,安全保障など,第2次大戦および戦後処理の指導原則を明らかにした。国際連合憲章の基礎となった。
→関連項目国際連合第2次世界大戦

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大西洋憲章」の解説

大西洋憲章
たいせいようけんしょう

1941年8月14日にアメリカ大統領ローズベルトとイギリス首相チャーチルが発した,第2次大戦の戦争目的と戦後の世界秩序構想に関する共同宣言。領土不拡大,国境不変更,民族自決,通商の自由,国際経済協力,欠乏と恐怖からの自由,公海自由,一般的安全保障体制の確立の8項目からなるが,通商の自由についてはイギリスが抵抗し,妥協が図られた。

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世界大百科事典(旧版)内の大西洋憲章の言及

【太平洋戦争】より

…そして11月5日の御前会議で12月初頭の開戦が決定され,日本は11月26日に提示されたアメリカ側のハル・ノートを最後通牒と受け取り,12月1日の御前会議で8日の開戦を正式に決定した。 これに対し米英両国首脳は,41年8月12日に領土不拡大,政治形態の自由選択権の尊重,平和の確保,侵略国の武装解除などを定めた大西洋憲章に署名し,9月24日にはソ連など15ヵ国が参加を表明した。次いで太平洋戦争勃発直後の42年1月1日,米英ソ中4ヵ国代表は,自由と人権の擁護,ファシズム諸国の打倒などを内容とする連合国共同宣言を発表した。…

※「大西洋憲章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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