朝日日本歴史人物事典 「大谷友右衛門(4代)」の解説
大谷友右衛門(4代)
生年:寛政3(1791)
幕末期の歌舞伎役者。屋号明石屋。大坂の狂言作者出来島専助の子。2代目友右衛門門弟。初名福蔵のち万作。子供芝居,宮地の中芝居で敵役を修業し,30代には道頓堀の中芝居で2代目尾上多見蔵らと一座し,敵役の上手として活躍した。天保2(1831)年冬41歳で江戸に下り,友右衛門を襲名。45歳の秋中村座「天下茶屋」に得意の元右衛門を演じ,「元右衛門が友右衛門か,友右衛門が元右衛門か」と称された。「昔語黄鳥墳」の大仁坊では,客席へ逃げ込む演技があまりに憎々しいので客から強く尻をつねられたが,かえってこれをありがたがったという逸話がある。友右衛門の名跡は平成期までに8代を数える。
(青木繁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報