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デジタル大辞泉
「大野洒竹」の意味・読み・例文・類語
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大野洒竹
おおのしゃちく
(1872―1913)
俳人。熊本県生まれ。本名豊太(とよた)。東京帝国大学医学部を卒業し、大野病院院長となった。中学時代より古俳書に興味をもち、秋声会(しゅうせいかい)に加わり、1896年(明治29)には佐々醒雪(さっさせいせつ)、笹川臨風(ささかわりんぷう)らと筑波会(つくばかい)を結成し、古俳諧(はいかい)研究に専心する一方、古俳書の収集にも努力して「天下の俳書の七分は我が手に帰せり」と豪語した。没後膨大なその蔵書は東大図書館に洒竹文庫として収蔵された。『俳諧史』(1899)、『与謝蕪村(よさぶそん)』(1902)その他、復刻編著が多い。
荻(おぎ)の風獺(うそ)の夫婦の通りけり
[村山古郷]
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大野洒竹 おおの-しゃちく
1872-1913 明治時代の俳人。
明治5年11月19日生まれ。泌尿器科の医師。明治27年佐々醒雪(さっさ-せいせつ)らと筑波会を結成。俳書収集につとめ,蔵書約4000冊は洒竹文庫として東大総合図書館に所蔵されている。大正2年10月12日死去。42歳。熊本県出身。東京帝大卒。本名は豊太。著作は「与謝蕪村」「俳諧(はいかい)略史」など。
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