デジタル大辞泉 「大門」の意味・読み・例文・類語
おお‐と〔おほ‐〕【大▽門】
「
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
高野山の西端にある一山全体の総門。楼門造の五間三門開き、高さ二五・二二メートル、間口二一・四五メートル、奥行八メートル。国指定重要文化財。両脇の金剛力士像は浪速の仏師法橋運長の作(続風土記)。
創建は弘法大師在世中であったといわれ(寛永七年「堂塔建立由来書」続宝簡集)、現在地から町石道を五、六町下った
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…例えば,伊勢参詣人を対象に古い歴史をもつ伊勢の古市(ふるいち)は茶屋町として,東海道の品川宿は形式上は飯盛旅籠(めしもりはたご)屋(飯盛女)として営業を認められていたものである。 各地によって多様な構図をもつ遊郭の基本的な設計は,上記のように周囲を溝や塀で囲み,大門(おおもん)(出入口)のみによる通行とした(裏門はあっても非常用である)。市中から大門に至る道には,遊郭行きをためらう思案橋(しあんばし),遊郭に近づいて身づくろいする衣紋坂(えもんざか)などが配置され(橋や坂は地形によって変わる),大門のそばには柳の木が植えてあることが多い。…
…新吉原は揚屋(あげや)町を新設したほかは元吉原とだいたい同型に形成され(新吉原の地割については図参照),後に伏見町,堺町(その後閉鎖)が開かれた。新吉原への経路は,江戸市中から浅草へ出,日本堤から五十間道へ入り,衣紋(えもん)坂を下りて大門(おおもん)口へ至るのが普通であった。大門は吉原の玄関で,夜10時から翌朝までは大戸をしめ,くぐり門を通行させた。…
…
【日本】
神社の鳥居や,住宅の簡単な門を除いた大部分の門は,中国伝来の形式であると考えられる。門は形式によって名づけられるほか,寺院の南大門,中門,総門,三門(山門)など場所による名称,仁王(におう)門,随身(ずいじん)門など安置された像による名称があり,そのほか建礼門,桜田門など固有名詞をつけられたものなどがある。木造建築であるから,正面の柱間(はしらま)の数と,そこに開かれる戸口の数とによって,その規模が表され,五間三戸(ごけんさんこ),三間一戸,一間一戸というふうに呼ばれる。…
…中国のすまいとしての〈家〉は,華北の窰洞(ヤオトン)式の穴居住宅や福建地方の客家(ハツカ)のあいだで見られる環形住宅などの地域差や貧富,身分(たとえば唐の場合,庶民の家は3間4架以下の規模とされ,官吏も六品官以下は3間5架以下と定められていた)によって規模や形態のちがいが著しい。中国の代表的木造建築たる四合院の様式をふくめてその特徴は,版築または磚で周囲に牆壁をめぐらし,内と外との通交は一つだけ開く大門(ターメン)によること,またそれぞれの部屋は壁などで間仕切りされて独立性が強く,院子(ユアンズ)に向かって戸や窓を開く内庭型の構造をとっていることである。部屋の独立性は構成員各人の家における人格上の独立性をうかがわせる。…
※「大門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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