太田康宗(読み)おおた・やすむね

朝日日本歴史人物事典 「太田康宗」の解説

太田康宗

没年:文永2.3.22(1265.4.9)
生年建暦2(1212)
鎌倉中期,幕府問注所執事や評定衆などを務めた実務家。本姓三善。三善康連の子。初名は康政。建長3(1251)年引付奉行,康元1(1256)年引付衆となり,同年に父康連死去のあとを襲って問注所執事に補せられ,また父の所領であった備後国太田庄(広島県甲山町一帯)桑原方の地頭職を相続した。その後正嘉2(1258)年には評定衆に加えられたが,弘長2(1262)年,中風のため問注所執事の職を弟康有に譲って以後籠居した。これ以降,問注所執事の職は康有の子孫に相承されることになり,康宗の子孫は桑原方地頭職を相伝した。<参考文献>竜粛鎌倉時代』上

(新田一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田康宗」の解説

太田康宗 おおた-やすむね

1212-1265 鎌倉時代の幕府官僚。
建暦(けんりゃく)2年生まれ。三善康連(やすつら)の子。太田康有(やすあり)の兄。引付衆をへて,建長8年父の跡をつぎ問注所執事となる。正嘉(しょうか)2年には評定衆もかねたが,4年後の弘長(こうちょう)2年病気のため引退した。文永2年3月22日死去。54歳。初名は康政。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android