太良未太(読み)たらみた

朝日日本歴史人物事典 「太良未太」の解説

太良未太

生年生没年不詳
6世紀後半,崇峻天皇のころ百済から来た寺院建築の工匠。『日本書紀』『元興寺縁起』および同縁起に引く露盤銘によると,崇峻1(588)年,百済は仏舎利,僧侶のほか,寺工(寺師)の太良未太(丈羅未大),文賈古子,露盤博士の白昧淳,瓦博士の麻奈文奴,陽貴文,〓貴文,昔麻帝弥,画工の白加,陽古などの人たちを派遣したと伝える。こうした百済の提供した寺院建築の技術者を得て,中国・朝鮮風の瓦葺きの元興寺(法興寺,のちの飛鳥寺)が造営された。発掘調査により,同寺の伽藍配置は高句麗や百済の寺院の例に類似することがわかっている。太良未太らの一行は百済人であるが,人名の特異な人もおり,ペルシャなどから中国南朝を経て移住していた人が含まれるかもしれない。

(鈴木靖民)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太良未太」の解説

太良未太 だらみだ

?-? 百済(くだら)(朝鮮)の寺大工。
崇峻(すしゅん)天皇元年(588)進調使の首信(しゅしん)らと来日,蘇我(そがの)馬子による法興寺(飛鳥(あすか)寺)造営に従事したという。名は「たらみた」ともよみ,丈羅未大ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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