太陽劇団(読み)たいようげきだん(英語表記)Théâtre du Soleil

改訂新版 世界大百科事典 「太陽劇団」の意味・わかりやすい解説

太陽劇団 (たいようげきだん)
Théâtre du Soleil

1964年に新しい演技探求劇団員の平等の権利を目ざして結成されたフランスの前衛劇団。女流演出家ムヌーシュキンAriane Mnouchkineが活動の中心となっている。彼女は1939年,映画プロデューサーを父として,フランスに生まれ,オックスフォード大学で心理学を専攻した。このときシェークスピア劇の上演に触れ,演劇に目覚めた。58年にはパリ大学のギリシア劇研究会に参加,同研究会の学友を中心に60年パリ学生演劇協会L'Association théâtrale des Étudiants de Parisを結成し,F.ガルシア・ロルカの作品などを上演したのが太陽劇団の母胎となった。64年M.ゴーリキーの《小市民たち》で旗揚げした太陽劇団は,俳優裏方区別を撤廃し,全員が平等な資格で公演に参加する一種の共同体を実現することを目的としていた。第2回公演がさんざんの赤字存続が危ぶまれたが,67年モンマルトルのサーカス小屋で上演したA.ウェスカー《調理場》が大当りし,翌68年に同じ場所で上演したシェークスピア《夏の夜の夢》の上演とともに,この劇団の名を有名にした。69年の《道化たちLes clowns》以後は,既成戯曲を捨てて,コメディア・デラルテの伝統による俳優の即興演技と劇団員の集団創作による台本の上演を目ざし,70年パリ郊外バンセンヌの弾薬倉庫跡で上演した集団革命劇《1789年》では,5ヵ所に置かれた大道芝居を思わせる舞台が観客を取り囲み,フランス革命の民衆神話を基にしたカーニバル的祝祭空間がみごとに繰り広げられた。この上演は,72年の続編劇《1793年》とあわせて65万人の観客を動員した。75年には現代の移民労働者と資本家の対立を,アルレッキーノを主人公とするコメディア・デラルテの即興性を生かした集団創作によるパロディ劇《黄金時代L'Age d'Or》に仕立てあげ,すり鉢形に傾斜した客席が舞台を囲む特殊な空間構造が再び評判となった。76年には初めて4時間に及ぶ大作映画《モリエール》を製作,その後劇団の運営方法をめぐって創立メンバーが脱退したりしたが,81年には東洋演劇の手法をとり入れたシェークスピアの《リチャード2世》《十二夜》《ヘンリー4世》を連続上演,以後も再び活発な活動を続けている。
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百科事典マイペディア 「太陽劇団」の意味・わかりやすい解説

太陽劇団【たいようげきだん】

1964年フランスで女性演出家ムヌーシュキンAriane Mnouchkine〔1939-〕を中心に結成された劇団。俳優・裏方などの区別のない劇団員の平等な活動による新しい演劇を目指した。1969年以後コメディア・デラルテの伝統にならった,俳優の即興演技と集団創作による台本の上演を企画し,フランス革命の民衆神話を扱った《1789年》(1970年)と,その続編《1793年》(1972年)が大成功を収め,世界的に有名になった。以後も《黄金時代》(1975年),《メフィスト》(1979年),大作映画《モリエール》(1976年)の製作,シェークスピア劇の上演など活発な活動を展開している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太陽劇団」の意味・わかりやすい解説

太陽劇団
たいようげきだん
Théâtre du Soleil

フランスの前衛劇団。1964年女流演出家アリアーヌ・ムヌーシュキンAriane Mnouchkine(1939― )を中心に結成された。新しい演技術の探究と、劇団員の平等の権利の追求を目的とした一種の共同体を目ざして活動、第3回公演のウェスカー作『調理場』の集団演技によって一躍注目を浴びるようになる。1970年バンセンヌの弾薬倉庫で上演された集団革命劇『1789年』では、集団創作による観客参加を含めた祝祭空間を実現した。以後、革命劇の続編『1793年』(1972)、コメディア・デラルテの演技を現代社会のなかに組み込んだ『黄金時代』(1975)などでつねに注目を集め、最近では『リチャード2世』などシェークスピア劇の連作で、日本の歌舞伎(かぶき)の手法などを取り入れた東洋風の演出で成功を博している。ムヌーシュキンが監督し太陽劇団の総出演による映画『モリエール』(1978)も評判をよんだ。

[利光哲夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太陽劇団」の意味・わかりやすい解説

太陽劇団
たいようげきだん

テアトル・デュ・ソレイユ」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の太陽劇団の言及

【演劇】より

…そのような〈客席の芝居〉を,ワーグナーの祝祭劇場は,祝祭的合体の場であった古代ギリシアの劇場の階段状座席を模し,さらに客席を闇に沈めることで否定しようとした。先に触れた多型的な関係は,市(いち)の露天の見世物の演劇体験にも通じるものであるが,それをたとえばムヌーシュキンAriane Mnouchkine(1939‐ )の太陽劇団は,《1789年》(1970)などで,広い弾薬庫の空間を使って活用してみせた。逆に,A.アルトーが残酷演劇の一要素として主張した,文字どおりに演戯が攻撃的に観客を取り囲む形は,もはや見ること自体の破壊であり,演劇を呪術的な〈行為〉に変貌させようとする。…

【フランス演劇】より

…また演劇作業の主要な担い手が自らの身体性に賭ける演戯者である以上,独裁的演出家を廃して〈集団制作〉の方法が考えられた。これらの主張を最も組織的に体現したのはムヌーシュキンAriane Mnouchkine(1939‐ )の〈太陽劇団〉(最大の舞台成果は《1789年》1970)であり,ナンシー国際青年演劇祭が前衛フェスティバルとして脚光を浴びるのも同じ地平である。〈68年型演劇〉は,演劇についての基本的な問いを炸裂させ,その発想や作業を多様化し国際化した。…

【野外劇】より

…50年代~60年代に,星空と微風のもと白光に照らされて繰り広げられたアビニョン演劇祭の野外劇は,たしかに秀逸した舞台成果をあげていた。また,パリ西郊バンセンヌの森の旧弾薬莢製造所跡の大空間に陣どり活動を続けるアリアーヌ・ムヌーシュキンと〈太陽劇団〉の祝祭的舞台は,野外劇方式の屋内への適用として注目される。演劇[劇場の空間と場]劇場【渡辺 淳】。…

※「太陽劇団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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