夷舁き (えびすかき)
摂津西宮の西宮神社を本拠地とし,首掛けの箱に入れた夷人形を舞わしながら,春の時期に家々を訪れ祝福するとともに,夷神の御姿を描いた札を配った宗教芸能者。夷まわしともいう。鯛を釣る夷の姿は漁家の信仰を得たが,多くは2人1組で簡単な劇なども演じ,天文年間(1532-55)以降京都に姿をみせ禁裏などにも推参。春季の門付(かどづけ)以外には数人から数十人が一座して,大型の傀儡(くぐつ)系人形を用いて劇を演じた。慶長年間(1596-1615)には当時の流行芸能である浄瑠璃と結んで,浄瑠璃操りを創始,従来の操りと競った。一方,門付の夷まわしも江戸時代を通じて存続,淡路などにも根拠地があった。大型一人遣いの夷人形をもって漁村をまわる一団もあった。
執筆者:山路 興造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の夷舁きの言及
【淡路人形】より
…戎神社は海神えびす神をまつる社で,古く水辺を漂泊していた[傀儡](くぐつ)の流れをくむ集団が,そのえびす神を表現した人形を舞わして,人々の息災福運を祈った。世にいう[夷舁(えびすか)き]がそれで,室町時代に活躍し,宮廷や公家の邸にも参って祝賀の芸を演じた。その一派が淡路にも渡って座を構えたが,関ヶ原の戦のあと蜂須賀氏が淡路,阿波の領主となり,その人形座に手厚い庇護を与えた。…
【翁】より
…日本の各種の古典芸能に演じられる儀式的祝言曲。中世の猿楽能をはじめ,田楽能,近世の人形浄瑠璃,歌舞伎,邦楽曲や,民俗芸能中の神楽,田遊び,延年,田楽などでも演じられる。
[発生]
芸能本来の目的の一つに人の延命を願うことがあるが,その表現として老翁・老媼を登場させることが古くからあったらしく,平安時代の田植行事などにみられる。しかし翁面をつけた者が舞や語りを演じる芸能は,猿楽の中に最も早くみられ,〈[翁猿楽]〉とか〈[式三番]〉と称せられた。…
【でこまわし】より
…木偶(でく)回し,箱まわし,山猫まわし,首掛人形などとも称する。室町時代末期には[夷舁き](えびすかき)と呼ばれる場合が多く,主要芸能は人形による猿楽能や夷舞であったが,その遣う人形をデクノボウ,でくる坊,どうこの坊などと呼んだことから,江戸時代には〈でこまわし〉〈木偶回し〉と俗称された。本来2人一組で春の町を門付して歩き,1人が3体ぐらいの人形を遣う。…
※「夷舁き」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」