奥州(市)(読み)おうしゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「奥州(市)」の意味・わかりやすい解説

奥州(市)
おうしゅう

岩手県南西部に位置する市。2006年(平成18)水沢市(みずさわし)、江刺市(えさしし)、胆沢(いさわ)郡前沢町(まえさわちょう)、胆沢町、衣川村(ころもがわむら)が合併して成立。市名の奥州は陸奥(むつ)国の別称。西側を奥羽山脈、東側を北上(きたかみ)高地で挟まれる北上盆地の南部に位置する。中心域は北上川西岸の河岸段丘上の水沢市街で、その東側を北上川が南流する。南北にJR東北本線、国道4号(旧奥州街道)、456号、東北新幹線、東北自動車道が通り、新幹線の水沢江刺駅、東北自動車道の水沢インターチェンジがある。東西には国道343号、397号が通じ、北部を国道107号、釜石自動車道が横断する。西部は栗駒(くりこま)国定公園の一部。

 律令政権が進めた蝦夷(えみし)経営に抵抗した蝦夷との戦線は、8世紀後半に胆沢に及んだ。ここで族長、阿弖流為(あてるい)を降伏させた坂上田村麻呂は802年(延暦21)胆沢城(城跡は国指定史跡)を築き、奥羽平定の拠点とした。胆沢城との密接な関係が推定される水沢区黒石(くろいし)町の黒石寺(こくせきじ)は、行基創建、坂上田村麻呂の再建という。中尊寺に近い衣川区には安倍(あべ)氏や藤原氏にかかわる遺跡が多い。江戸時代、仙台藩は岩谷堂(いわやどう)要害を中心として盛岡藩に対する藩境防衛体制をとった。岩谷堂要害の館下に発達した岩谷堂町は北上川の河港下川原(しもかわら)を擁し、また盛(さかり)街道が通じ、北上川流域と気仙(けせん)方面の産物の交易市場として栄えた。ほかに要害の置かれた人首(ひとかべ)、野手崎(のてざき)などにも盛街道の宿場町が形成された。奥州街道の宿駅では、盛街道との分岐点となる水沢宿や前沢宿が置かれた。1617年(元和3)伊達(だて)家の家臣キリシタンの後藤寿庵(じゅあん)がつくった寿庵堰(ぜき)などによって、胆沢川の水を扇状地に揚水し、新田開拓が進められた。1899年(明治32)水沢に開設された緯度観測所(現、国立天文台水沢VLBI観測所)は、国際極運動観測事業の中央局として、その名が世界に知られている。

 現在、北上川西部扇状地では水稲(江刺金札米など)、豆類、野菜、リンゴなどを栽培し、南部鉄器の生産も盛ん。東部の原野は馬産地であったが、近年、乳牛、肉牛(前沢牛など)飼育が行われている。江刺中核工業団地をはじめ、水沢工業団地、伝統産業の岩谷堂箪笥(たんす)の木工団地、前沢区の本杉(もとすぎ)工業団地などが造成された。2008年(平成20)岩手県内陸南部を震源とする岩手・宮城内陸地震が発生、市域でも各所で崩落がおこり、断水、道路網の寸断など大きな被害が出た。2011年の東日本大震災では死者3人・行方不明1人、住家全壊51棟・半壊414棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。胆沢区の角塚古墳(つのづかこふん)、水沢区の高野長英旧宅(たかのちょうえいきゅうたく)(いずれも国史跡)などの史跡がある。黒石寺で夜を徹して行われる蘇民(そみん)祭は、奇祭として知られる。面積993.30平方キロメートル(一部境界未定)、人口11万2937(2020)。

[編集部]


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