奥御賀丸(読み)おく・おんがまる

朝日日本歴史人物事典 「奥御賀丸」の解説

奥御賀丸

生年生没年不詳
室町時代僧侶足利義満の寵童。義満は応永2(1395)年出家してから側近として寵童を侍らしたが,御賀丸もそのひとり大和の国人奥氏の出身。東寺領大和平野殿荘,河原城荘などの代官となり,東寺と紛議を起こした。同14年末には仁木義員に代わって和泉守護職に補任されたが,これは義満の近習優遇策を示すものである。しかし翌年5月義満が死ぬと立場は悪化し,守護代牧浄観は同7月に和泉を没落,翌月御賀丸は守護を罷免された。その後の動静は明らかでない。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥御賀丸」の解説

奥御賀丸 おく-おんがまる

?-? 室町時代の僧。
出家した足利義満の寵童のひとり。大和(奈良県)の東寺領平野殿荘(ひらのどののしょう)などの代官をつとめ,応永14年(1407)和泉(いずみ)(大阪府)守護となった。大和出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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