妙応寺(読み)みようおうじ

日本歴史地名大系 「妙応寺」の解説

妙応寺
みようおうじ

[現在地名]関ヶ原町今須

JR東海道本線北側の山麓にある曹洞宗寺院。青坂山と号し、本尊釈迦如来。「木曾路名所図会」には西美濃の惣録とあり、伏見宮祈願所であったという。今須います城主の長江重景が正平一五年(一三六〇)に母妙応尼の菩提のため峨山韶碩を開山として建立したと伝える。応安七年(一三七四)六月一日の沙弥行妙寄進状(妙応寺文書、以下同文書)に青坂山妙応禅寺とみえ、田地屋敷などを寄進、同月三日には南河原薬師堂前の八段などが当寺に寄進されているが、行妙は重景のこと。

妙応寺
みようおうじ

[現在地名]八日市市尻無町

布引ぬのびき山丘陵の北辺、蛇砂へびすな川北岸にある。大堂山と号し、曹洞宗。寺伝によれば、正慶元年(一三三二)比叡山横川よかわの僧徳鎮(得珍)戦乱を避け、ひそかに本尊を背負い領地であった当地へ来住村人精舎門廊・庫蔵などを建立したのが当寺の開基で、もと明王寺と号したという(「重修明王寺本尊記」当寺蔵)。徳鎮は実在の人物ではなく、当地域が延暦寺によって開発されたことを寓話的に語り伝えられたものであろう。

妙応寺
みようおうじ

[現在地名]函館市石崎町

海岸線沿いを走る国道二七八号の沿道にある日蓮宗寺院。日持山と号し、本尊釈迦如来。日蓮の六門弟の一人日持が異域に妙法を弘通しようと正応年間(一二八八―九三)渡島、正安年間(一二九九―一三〇二)当地に堂宇を営み経石きようせき庵と称したのに始まると伝える。のち函館実行じつぎよう寺の末寺に属し、同寺から留守居を派遣し葬祭を執行した。文化年間(一八〇四―一八)には日明境内に経石塚を設営した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「妙応寺」の意味・わかりやすい解説

妙応寺 (みょうおうじ)
Miào yìng sì

中国北京市阜成門内にある仏寺。白塔が著名で,妙応寺白塔として知られる。かつて同地には遼の1096年(寿昌2)建設の塼(せん)塔があったが,元の世祖の1271年(至元8)にこれを廃してラマ塔を建てることになり,ネパール国王一族のアニカ(阿尼哥)が指導し,8年後に完成したのが現在の白塔で,このとき大聖寿万安寺の名を賜った。全高50.9m,白色塗で,塼積みの須弥座式基壇と円形平面の塔身・塔刹からなる。中国に出現した最初のラマ塔でもある。
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