威奈大村墓誌(読み)いなのおおむらぼし

改訂新版 世界大百科事典 「威奈大村墓誌」の意味・わかりやすい解説

威奈大村墓誌 (いなのおおむらぼし)

少納言威奈大村(662-707)の蔵骨器に刻まれている墓誌。蔵骨器は球形,金銅製の器で,墓誌銘文は,その半球形の蓋の周囲に放射状に陰刻されている。文は,大村の出自・官歴・治績などを記した長文の序と,大村の出自・人柄・功績などをたたえ,死を悼む銘の2部から成っている。序によると,大村は宣化天皇の子孫で,威奈鏡の子である。文武朝に少納言となり,701年(大宝1)には侍従を兼ねた。705年(慶雲2)左少弁となり,同年11月には越後城司にも任ぜられて蝦夷鎮撫にあたった。しかしその業半ばで707年4月,越後に病没した。享年46歳。その年11月,大和国葛木下郡の狛井(こまい)の丘に葬られたという。銘の部分は4字句を連ね,韻をふんだ美文となっている。この墓誌銘の全文は391字から成るが,闕字の存在を考慮すると,1行20字詰め,全20行におさまるようになっており,本来そのように企画されているとみられる。このような形式は,中国南北朝時代の方形墓誌に例が多い。またその表現には,中国北周の文人庾信(ゆしん)の作った墓誌銘と共通するものが少なくない。これはこの墓誌が庾信の作品文集などを通じて利用したためである。その他この墓誌の文章には《尚書》《論語》《文選》など中国古典に出典をもつ語が使用されている。日本古代の墓誌中,これほど完全に中国的な形式・内容を備えた墓誌は,今のところ他に存在しない。18世紀後半に現在の奈良県香芝市穴虫の丘陵から出土した。大阪四天王寺蔵。国宝。蔵骨器全高24.2cm。
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世界大百科事典(旧版)内の威奈大村墓誌の言及

【大宝律令】より

…もっとも近江令は存在しなかったとする学説も有力だが,いずれにせよ法典の完成度からみれば,大宝律令はそれ以前のものにくらべ格段に整ったものであった。《続日本紀》の大宝元年(701)元日の記事に〈文物の儀ここに備われり〉といい,その数年後に造られた威奈大村(いなのおおむら)墓誌に〈大宝元年を以て律令はじめて定まる〉と記されているのは,当時の人々が大宝律令をもって本格的な律令法典の出現と意識していたことを示している。その編纂と施行について,従来は律・令とも701年から翌年にかけて,成るにしたがって施行されたと考えられていたが,最近では,令は700年(文武4)に完成しており,続いて成った律も701年に令とともに施行されたとする学説が有力になっている。…

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