子島寺(読み)こじまでら

精選版 日本国語大辞典 「子島寺」の意味・読み・例文・類語

こじま‐でら【子島寺】

奈良県高市郡高取町にある高野山真言宗の寺。山号は報恩山。天平宝字四年(七六〇)玄昉(げんぼう)の弟子報恩の創建と伝えられる。長保年間(九九九‐一〇〇四)真興(しんごう)が来住し、一条天皇から「両界曼荼羅(まんだら)図」(国宝)を賜わった。南清水寺。千寿院観覚寺。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「子島寺」の解説

子島寺
こじまでら

[現在地名]高取町観音寺

高取たかとり川東岸に所在。報恩山と号し、真言宗御室派。本尊大日如来。当初は子嶋山こじまやま寺、平安時代中期以降は観覚かんがく寺、江戸時代には子嶋山千寿せんじゆ院と称した。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔子嶋山寺〕

延暦僧録」長岡(桓武)天皇菩薩伝には「南京(穂カ)恵山」に子嶋山寺を造立、九間の相殿に十一面観音を祀ったことがみえ、「今昔物語集」巻一一(田村将軍、始建清水寺語第卅二)には「大和国高市ノ郡、八多ノ郷」に小嶋山こじまやま寺があったことを記す。「元亨釈書」吉野山報恩伝によると、孝謙・桓武両帝の疾病を癒した僧報恩が、天平宝字四年(七六〇)三月に高市たかいち郡子嶋神祠(現高取町)畔に伽藍を建立、一丈八尺の観自在菩薩像と四大天王像を安置して子嶋寺としたという。また「延暦僧録」感瑞応祥皇后菩薩伝には、延暦四年(七八五)皇后の帳上に赤雀が現れたので、これを奇瑞として丹恵山小嶋寺に田地を喜捨、春秋の十一面悔過けかを行わしめたことがみえ、先述の長岡天皇菩薩伝と勘案して、桓武天皇の在位中、延暦四年頃の建立とする説もあるなど、創建年時や造像については問題が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「子島寺」の意味・わかりやすい解説

子島寺
こじまでら

奈良県高取町にある高野山真言宗の寺院。本尊は大日如来。寺伝によれば,報恩によって天平宝字4 (760) 年に建立され,江戸時代には植村家の菩提寺として栄えた。紺綾地金銀泥絵『両界曼荼羅図』 (子島曼荼羅) は,空海が唐で手に入れ,平城天皇に献上し,そののち一条天皇興福寺の真興に下賜したといわれ,国宝に指定されている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android