孟嘗君(読み)モウショウクン

デジタル大辞泉 「孟嘗君」の意味・読み・例文・類語

もうしょう‐くん〔マウシヤウ‐〕【孟嘗君】

[?~前279]中国、戦国時代公族。姓は田、名は文。一芸に秀でた客士数千人をかかえたことで知られ、戦国末の四君の一人に数えられた。昭王に暗殺されかけたとき、狗盗鶏鳴を得意とする食客に救われたという鶏鳴狗盗故事有名。のち、斉・宰相となったが、晩年諸侯として自立

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精選版 日本国語大辞典 「孟嘗君」の意味・読み・例文・類語

もうしょう‐くん マウシャウ‥【孟嘗君】

中国、戦国時代の斉の公族。姓は田、名は文。孟嘗君は別称。楚の春申君、趙の平原君、魏の信陵君とともに戦国末期の四公子の一人。秦の昭王に殺されそうになった時、狗盗(くとう)と鶏鳴を得意とする二人の食客の働きで無事に帰ることができた故事は著名。斉の宰相となり、のち諸公として自立した。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「孟嘗君」の意味・わかりやすい解説

孟嘗君 (もうしょうくん)
Mèng cháng jūn
生没年:?-前279ころ

中国の戦国時代,斉の公族。靖郭君田嬰(でんえい)の子で,姓は田氏,名は文。父の領地を受けつぎ,門下に食客数千人を養い,魏の信陵君,趙の平原君,楚の春申君とともに戦国四君の一人に数えられる。秦の昭王は彼の賢なることを聞き,前299年に宰相とするために秦に招き,ついで殺そうとしたが,食客のはたらきで危地を脱し,無事斉に帰り着いた。これが有名な鶏鳴狗盗(けいめいくとう)の故事である。のち斉のみならず魏の宰相にも任ぜられたが,前284年以後は自立して諸侯となり,薛で没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孟嘗君」の意味・わかりやすい解説

孟嘗君
もうしょうくん
Meng-chang-jun; Mêng-ch`ang-chün

[生]?
[没]襄王5(前279)
中国の戦国時代末期における戦国四君の一人。姓は田。名は文。父の田嬰(でんえい)はの威王の子で薛(せつ。山東省)に封じられ,父の死後,跡を継いだ。賓客を好遇し,その食客は数千人に及んだという。の昭襄王はその賢明なことを聞き,王の8(前299)年,孟嘗君を招いて殺そうとしたが,狗盗(「こそどろ」の意)や鶏の鳴き声の上手な食客の手引きで秦から脱出に成功したという「鶏鳴狗盗」の故事が有名。一時斉の湣王(びんおう)に仕えたが意見が合わず薛に引退し,のちの宰相を務めたこともあったが,最後は自立。彼の行動には伝説的要素が強い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「孟嘗君」の意味・わかりやすい解説

孟嘗君
もうしょうくん
(?―前279)

中国、戦国時代の政治家。斉(せい)の公族で威(い)王の孫。靖郭君田嬰(せいかくくんでんえい)の子。本名は田文(でんぶん)。父の封領を継いで薛(せつ)(現山東省棗庄(そうそう)市内)に居し、食客数千人を擁して斉国の勢力家として名をはせた。秦(しん)の昭襄(しょうじょう)王に相(しょう)として招かれたが暗殺されそうになって逃げ帰り、斉の湣(びん)王に仕えて相を務めた。のち、魏(ぎ)に行って相になったが、晩年は薛に帰って諸侯として自立した。秦から逃れるとき、同行の食客にイヌのかっこうで盗みをよくする者、ニワトリの鳴き声をよくする者がいて一命を取り留めた故事は有名(鶏鳴狗盗(けいめいくとう))。戦国四君の1人に数えられる。

[太田幸男]

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旺文社世界史事典 三訂版 「孟嘗君」の解説

孟嘗君
もうしょうくん

?〜前279ごろ
戦国時代の斉 (せい) の王族
姓は田,名は文。賓客数千人を招いて厚遇し,その名声は全国に聞こえ,魏の信陵君 (しんりようくん) ,趙 (ちよう) の平原君 (へいげんくん) ,楚の春申君 (しゆんしんくん) とともに四君といわれる。「鶏鳴狗盗 (けいめいくとう) 」の故事で知られ,魏 (ぎ) の宰相になり,斉で没した。

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百科事典マイペディア 「孟嘗君」の意味・わかりやすい解説

孟嘗君【もうしょうくん】

中国,戦国時代の斉の公族。姓は田,名は文。父は靖郭君田嬰(でんえい)。その死後,跡を継ぎ,常に天下有能の士数千人を食客として厚遇し,彼らを使って政治・外交に活躍した。戦国四君の一人。秦の昭襄王がその賢をねたみ,殺そうとしたとき,食客の鶏鳴狗盗によってのがれた故事は有名。

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世界大百科事典(旧版)内の孟嘗君の言及

【裘】より

…一般の狐裘は黄色であるが,これは狐のわきの下の白毛をたくさん集めて成り,軽くて暖かかった。昔,孟嘗君(もうしようくん)所有の狐白裘は値千金といわれ,鶏鳴狗盗(けいめいくとう)の故事で名高い(《史記》巻七十五孟嘗君伝)。【植木 久行】。…

【函谷関】より

…長安(現,西安市)を中心とする関中と,洛陽を中心とする中原を結ぶ交通の要地に当たっており,秦の国では古くからここに関所をもうけて東方の守りとしていた。関門は日没に閉じて日の出とともに開くことになっており,斉の孟嘗君(もうしようくん)が秦から逃げ出すとき,従者が鶏の鳴声をまねて夜の明けないうちに関門を開かせたという話は,ここが舞台である。また劉邦が秦を攻めて先に関中を占領し,項羽の関中進入を防ごうとしたのもこの場所であった。…

【もてなし】より

…その夜,老人は子路のために鶏をつぶし黍(きび)ご飯をつくってやり,自分の2人の息子を子路に引き会わせ,一家をあげて彼を歓待したという。宋代の百科全書《太平御覧(たいへいぎよらん)》賓客の項に引く《列女伝》によれば,有事に備えて食客3000人を養っていた孟嘗君(もうしようくん)は,彼らを3段階にランクづけ,食事のときになると,上客には肉,中客には魚,下客には野菜をあてがったといわれる。漢の宰相公孫弘は〈客館〉をつくって賢人を招き,彼らを自分のブレーンとして厚遇したが,自分自身は肉ひときれと粟(あわ)飯に甘んじた(《漢書》公孫弘伝)。…

※「孟嘗君」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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