宇治川(読み)うじがわ

精選版 日本国語大辞典 「宇治川」の意味・読み・例文・類語

うじ‐がわ うぢがは【宇治川】

琵琶湖を源とする瀬田川宇治市から下流をいう。京都盆地を流れて木津川・桂川と合流する。治承、寿永、承久、建武などの古戦場。蛍の名所としても知られた。八十氏河(やそうじがわ)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「宇治川」の意味・読み・例文・類語

うじ‐がわ〔うぢがは〕【宇治川】

琵琶湖に発する瀬田川の大津市南郷より下流の称。宇治市を流れ、大山崎町桂川木津川と合流して淀川となる。網代あじろの名所。[歌枕]
「もののふの八十やそ―の網代木あじろきにいさよふ波の行くへ知らずも」〈・二六四〉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「宇治川」の解説

宇治川
うじがわ

琵琶湖から流下して木津きづ川・かつら川などを合し大阪湾に注ぐ淀川水系の主流のうち、中流部の呼称。上流滋賀県内では瀬田せた川、下流の三川合流点以西では淀川とよばれる。宇治橋付近より上流は、宇治丘陵の谷間を深く開析し、宇治川ラインとよばれる峡谷美をみせ、宇治橋下流は京都盆地の低部を流れる。

「日本書紀」垂仁天皇三年の条に「天日槍菟道うじ河よりさかのぼりて、北近江国の吾名邑に入」るとみえるのが初見。菟道河・氏川・是川などの文字もあてられるが(「万葉集」など)、異名はない。古くは宇治橋のやや下流で西北方向に分流し、巨椋おぐら池に流入していた。現存するまき島・大八木おおやぎ島・蛭子えびす(夷)島などは、その中州の遺称である。文禄三年(一五九四)豊臣秀吉による伏見城(跡地は現京都市伏見区)構築の際、宇治橋―伏見向島むかいじま間の左岸に槇島堤が設けられ、河道を一本化して伏見城下に導かれてから、現在の流路に固定された。

宇治川は「平家物語」の宇治川先陣のくだりにも「白浪おびたゝしうみなぎりおち、瀬まくらおほきに滝なつて、さかまく水もはやかりけり」とあるように急流で、水害もしばしばであった。近世では宝暦六年(一七五六)の大洪水、近くは昭和二八年(一九五三)の破堤などが著名である。明治元年(一八六八)のお釜切れや同四年の六助切れの相次ぐ破堤により、オランダ人工師デレーケらの指導で修築工事が進められた。明治一八年(吹前切れ)、二二年、二九年(庚申塚切れ)、三六年などにも水害が発生し、同三七年の南郷洗堰なんごうあらいぜき設置、同三九年通水路締切による巨椋池との完全分離、ならびに淀付近の河道変更などが行われて、現今のような近代的河川に生れ変わった。

宇治川
うじがわ

六甲ろつこう山地西部再度ふたたび山に発して再度谷を南流し山地を出て南西に転じ、北区の鍋蓋なべぶた山の南に発して平野ひらの谷を南流する平野谷ひらのたに川を合流したあと、大倉おおくら山の東で南東に向きを変えてそのまま海へ注ぐ川。全長約四・五キロ。大倉山東方以南の市街地では暗渠となり、暗渠上は南北道として主要交通路になっている。川名は「和名抄」の八部やたべ郡宇治郷の郷名にちなむとみられる。応保二年(一一六二)の条里図断簡(神戸市史)には「宇治河・頭滝・華尾堺」などの記入があり、当時は山地を出たあとも南流していたとする説がある。近世には下流域で宇治野うじの村を貫流しており、明治初期の兵庫県史料(国立公文書館蔵)には宇治野川と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「宇治川」の意味・わかりやすい解説

宇治川【うじがわ】

琵琶湖南端に発し,京都盆地を流れ,淀川に合流する川。上流を瀬田川といい,京都・滋賀府県境の醍醐山地部では宇治川ラインと呼ばれる峡谷美をなす。古くは氏川・菟道河などとみえ,《万葉集》など多くの歌に詠まれた。奈良時代の北陸道(のちの奈良街道)が宇治川を渡る地点,現京都府宇治市の宇治橋あたりには,7世紀中葉すでに架橋されており,日本最古の橋ともいわれる。《平家物語》によれば急流で,洪水も多かったが,アユ漁なども盛んであった。流量が多く,下流部ではしばしば洪水になったが,現在は洗堰(あらいぜき)と天ヶ瀬ダムで流量調節を行う。たびたび京都攻防の戦場となり宇治川の戦は有名。→宇治
→関連項目宇治[市]大山崎[町]巨椋池京都[府]京都盆地久御山[町]木幡高瀬川薪荘田上杣平等院琵琶湖国定公園琵琶湖疎(疏)水

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「宇治川」の意味・わかりやすい解説

宇治川 (うじがわ)

京都府宇治市から京都盆地へ流れ出す河川。琵琶湖を水源として流出する唯一の川で,京都・大阪の府境付近で桂川,木津川と合流して淀川と名を変えるまでの流路の長さは約30km。上流は瀬田川といい,宇治市に入って宇治川と名を改める。滋賀県全域の流水はすべてこの川に流れこむために流量は大きく,巨椋池(おぐらいけ)干拓地周辺が水害を受けることが多く,1953年9月の台風13号による水害を契機に宇治川の治水事業が進展した。天ヶ瀬ダムの建設(1964),南郷洗堰(あらいぜき)の移設,瀬田川浚渫(しゆんせつ)などがそれで,天ヶ瀬ダムと南郷洗堰によって流量調節が行われる。宇治発電所(最大出力3万2500kW),天ヶ瀬発電所(9万2000kW),揚水式の喜撰山発電所(46万6000kW,いずれも1997)があって,合計59万kWを発電する。中流部は宇治川ラインと呼ばれる峡谷をなすが,天ヶ瀬ダム完成後はかつてのような急流はみられない。峡谷を出て淀川に合流するまでは河床こう配がほとんどなく,左岸には巨椋池干拓地が広がる。かつて宇治川は巨椋池へ直接流入し,その西方の淀付近で桂川,木津川と合していたが,豊臣秀吉の伏見城建設時(1594)に巨椋池から分離させて伏見城下を迂回するよう河道付け替えが行われ,さらに明治以降数回にわたる河道改修工事が実施され,巨椋池も1933-41年に干拓されて現在の流路となった。宇治の地は古くから水陸交通の要地であり,646年(大化2)に宇治橋架設が伝えられ(宇治橋碑),また幾多の著名な合戦の場となった。《源氏物語》の舞台ともなり,藤原摂関家によって別荘や平等院が造営されたのは,宇治川の清流がおりなす山河の美が王朝人を魅了したからである。
宇治[市]
執筆者:

宇治川 (うじがわ)

平曲の曲名。平物(ひらもの)。拾イ物。都に攻め上る義経方と迎え撃つ木曾義仲方が宇治川の両岸に対陣した。比良・志賀の山の雪が解けて川水が増し,逆巻く白波の上に霧が立ちこめた暁である(〈三重(さんじゆう)〉)。評定も終わって畠山勢が渡河を始めたとき,平等院の対岸から並んで川に乗り入れた2騎があった。頼朝下賜の生食(いけずき)に乗った佐々木高綱と,同じく摺墨(するすみ)に乗った梶原源太(景季)である。先行の梶原が,〈馬の腹帯が伸びている〉という佐々木の注意で締め直しているすきに,佐々木が駆け抜けた(〈拾イ〉)。佐々木の先陣の名のりに続いて畠山重忠らも上陸して攻め立てたので,義仲方は伏見へ敗走した(〈拾イ〉)。三重・拾イが聞き所。人形浄瑠璃ひらかな盛衰記》などの原拠。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇治川」の意味・わかりやすい解説

宇治川
うじがわ

淀(よど)川水系中流の河川。琵琶湖(びわこ)から流下する瀬田川は、滋賀県大津市南郷の洗堰(あらいぜき)から下流を宇治川という。宇治川は京都府と滋賀県の境にあたる醍醐(だいご)山地を、くの字形の流路をとって流れるが、峡谷美に富むため、宇治川ラインとよばれる。宇治市から京都盆地を西流して、大阪府との境の大山崎町で桂(かつら)川、木津(きづ)川と合流して淀川となる。1964年(昭和39)に宇治市の天ヶ瀬(あまがせ)に天ヶ瀬ダムが建設された。堤高73メートル、長さ254メートル、水力発電、洪水調節などの多目的ダムである。1970年には上流右岸の喜撰山(きせんやま)山腹に、宇治川からの揚水による喜撰山ダムと地下発電所が完工した。また宇治川ラインの天ヶ瀬から大津市外畑までの12.2キロメートルの間は、天ヶ瀬ダムによって水位が上昇して長大な人工湖となり、いっそう風光美を加え、ことに初夏の新緑、秋の紅葉が美しい。沿岸には自動車道が開通した。

 なお、宇治市の平等院(びょうどういん)前の中州の塔の島付近では夏に鵜飼(うかい)が行われる。またこのあたりは宇治川の渡河地点として、治承(じしょう)、寿永(じゅえい)、承久(じょうきゅう)、建武(けんむ)などの宇治川の戦いの古戦場となった所で、佐々木高綱(たかつな)と梶原景季(かじわらかげすえ)の先陣争い(1184)の物語は有名である。

織田武雄

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇治川」の意味・わかりやすい解説

宇治川
うじがわ

滋賀県南西部から京都府南部を流れる川。淀川水系の一部。琵琶湖から流出する瀬田川を源流とし,大津市南郷で宇治川となり,木津川,桂川と合流し淀川となるまでの部分をいう。現在の河川法では宇治川という名称は存在せず,淀川中流部の通称である。長さ約 25km。古生層の山地を刻んで峡谷をなし,宇治で京都盆地に出る。かつては宇治からまっすぐに西へ流れて巨椋 (おぐら) 池に注いでいたが,文禄3 (1594) 年豊臣秀吉が伏見を経由する現在の流路に替えた。峡谷部は宇治川ラインと呼ばれる景勝地で,宇治の近くに流量調節および発電用の天ヶ瀬ダムが 1964年に完成。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

事典・日本の観光資源 「宇治川」の解説

宇治川

(京都府宇治市)
関西自然に親しむ風景100選」指定の観光名所。

宇治川

(京都府)
日本百景」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「宇治川」の解説

うじがわ【宇治川】

福井の日本酒。蔵元は「佐々木酒造」。現在は廃業。蔵は勝山市本町にあった。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の宇治川の言及

【山城国】より

…現在の京都府南部の地。東は近江,伊賀,南は大和,西は河内,摂津,丹波に接し,四方ともに山で,周辺山地からの木津川,宇治川,鴨川(賀茂川),桂川,淀川などが平野部に流れる。人文のうえでは,中央にある巨椋池(おぐらいけ)(干拓事業で消滅)の北の京都盆地および周辺山地と,南山城地域とに区分できる。…

【宇治川】より

…琵琶湖を水源として流出する唯一の川で,京都・大阪の府境付近で桂川,木津川と合流して淀川と名を変えるまでの流路の長さは約30km。上流は瀬田川といい,宇治市に入って宇治川と名を改める。滋賀県全域の流水はすべてこの川に流れこむために流量は大きく,巨椋池(おぐらいけ)干拓地周辺が水害を受けることが多く,1953年9月の台風13号による水害を契機に宇治川の治水事業が進展した。…

※「宇治川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android