宇都宮持綱(読み)うつのみや・もちつな

朝日日本歴史人物事典 「宇都宮持綱」の解説

宇都宮持綱

没年:応永30.8.9(1423.9.13)
生年:応永2(1395)
室町時代武将。満綱の女婿宇都宮氏の庶流武茂氏より入嗣。応永18(1411)年の末ごろ名実共に宇都宮氏の家督継承鎌倉府よりも室町幕府との関係を強め,関東に居ながら親幕府の立場をとる京都御扶持衆として活躍。応永24年には幕府の推挙で,上杉禅秀の乱後欠員となっていた上総国守護に補任された。こうした動きは鎌倉公方足利持氏との対立を深め,応永30年,鎌倉公方軍の攻撃を受け自害して果てた。<参考文献>山家浩樹「上総守護宇都宮持綱」(『日本歴史』490号),江田郁夫「応永・永享期の宇都宮氏」(『歴史』72号)

(荒川善夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇都宮持綱」の解説

宇都宮持綱 うつのみや-もちつな

1395-1423 室町時代の武将。
応永2年生まれ。下野(しもつけ)(栃木県)宇都宮氏の分家の武茂(むも)氏から宇都宮満綱の娘婿となり,同家をつぐ。幕府が鎌倉公方(くぼう)足利持氏に対抗するため関東の豪族を組織した京都扶持衆のひとりとなる。応永29年小栗満重(おぐり-みつしげ)とともに持氏とたたかって敗れ,30年8月9日自殺した。29歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android