安倍 能成(読み)アベ ヨシシゲ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「安倍 能成」の解説

安倍 能成
アベ ヨシシゲ


肩書
文相,学習院院長,一高校長

生年月日
明治16年12月23日

出生地
愛媛県松山市小唐人町

学歴
東京帝大文科大学哲学科〔明治42年〕卒

経歴
東大在学中から「ホトトギス」などに文芸評論を発表し、明治44年阿部次郎ら4人の合著「影と声」を刊行。大正2年「予の世界」を刊行し、以後「西洋古代中世哲学史」「西洋近世哲学史」「カントの実践哲学」などを刊行。その間、慶大、法政大などに勤務し、13〜15年ヨーロッパに留学。帰国後は京城大教授を経て、昭和15年一高校長に就任した。21年幣原内閣の文部大臣となるが、数ケ月で辞任。同年10月学習院長に就任し、戦後私立学校となった学習院の基礎固めに専念した。また、俳句早くから夏目漱石の指導を受けるほか、高浜虚子松根東洋城にも接し「渋柿」にも筆を執った。著書に「静夜集」「朝暮抄」「思想と文化」「山中雑記」「時代と文化」「一日本人として」「我が生ひ立ち」「安倍能成選集」(全5巻 小山書店)などがある。

受賞
読売文学賞(第9回・評論・伝記賞)〔昭和32年〕「岩波茂雄伝」

没年月日
昭和41年6月7日

家族
弟=安倍 恕(高裁長官)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「安倍 能成」の解説

安倍 能成
アベ ヨシシゲ

明治〜昭和期の教育者,哲学者 文相;学習院院長;一高校長。



生年
明治16(1883)年12月23日

没年
昭和41(1966)年6月7日

出生地
愛媛県松山市小唐人町

学歴〔年〕
東京帝大文科大学哲学科〔明治42年〕卒

主な受賞名〔年〕
読売文学賞(第9回・評論・伝記賞)〔昭和32年〕「岩波茂雄伝」

経歴
東大在学中から「ホトトギス」などに文芸評論を発表し、明治44年阿部次郎ら4人の合著「影と声」を刊行。大正2年「予の世界」を刊行し、以後「西洋古代中世哲学史」「西洋近世哲学史」「カントの実践哲学」などを刊行。その間、慶大、法政大などに勤務し、13〜15年ヨーロッパに留学。帰国後は京城大教授を経て、昭和15年一高校長に就任した。21年幣原内閣の文部大臣となるが、数ケ月で辞任。同年10月学習院長に就任し、戦後私立学校となった学習院の基礎固めに専念した。また、俳句は早くから夏目漱石の指導を受けるほか、高浜虚子、松根東洋城にも接し「渋柿」にも筆を執った。著書に「静夜集」「朝暮抄」「思想と文化」「山中雑記」「時代と文化」「一日本人として」「我が生ひ立ち」「安倍能成選集」(全5巻 小山書店)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「安倍 能成」の解説

安倍 能成 (あべ よししげ)

生年月日:1883年12月23日
明治時代-昭和時代の教育者;哲学者。文部大臣;学習院院長
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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