安徽(省)(読み)あんき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安徽(省)」の意味・わかりやすい解説

安徽(省)
あんき / アンホイ

中国、華東(かとう)地区西部の省。北東部は江蘇(こうそ)、南東部は浙江(せっこう)、南西部は江西(こうせい)、西部は河南(かなん)、湖北(こほく)の各省と接する。省名は安慶(あんけい)、徽州の両地の頭文字から名づけられた。略称は皖(かん)。省都は合肥(ごうひ)。ほかに16地級市、6県級市、55県、44市轄区がある(2015年末時点)。面積14万0100平方キロメートル(2014)。人口6949万1000(2015)、少数民族は回族、ショオ族(畬(よ)族)、満洲(まんしゅう)族で約40万人が居住する。そのうち回族は30万人超に及ぶ。

[林 和生 2017年2月16日]

自然

揚子江(ようすこう)と淮河(わいが)の下流部の流域にあたり、地形は、(1)華北平原の一部である淮北平原、(2)揚子江中・下流平原の一部である皖中平原、(3)西部の霍山(かくざん)を中心とする淮北丘陵、(4)標高1000メートル程度の大別山脈、(5)皖南の低山丘陵の5区に分けられる。気候は南北の差が著しく、年降水量は800~1800ミリメートル。淮河以南は比較的湿潤温暖であるが、淮河以北は年降水量の50~60%が夏に集中するため乾燥し、春は干魃(かんばつ)、夏は洪水による冠水がおきやすい。

 1949年の解放後、淮河の大規模な治水工事が進められ、仏子嶺(ぶっしれい)、梅山(ばいざん)、響洪甸(きょうこうでん)、摩子潭(ましたん)などの大型ダムが建設され、史杭(ひしこう)、駟馬山(しばさん)、新汴河(しんべんが)などの大型灌漑(かんがい)工事や水運工事も行われた。

[林 和生 2017年2月16日]

歴史

春秋時代は呉(ご)、楚(そ)に、戦国時代は楚に、秦(しん)代はおもに九江(きゅうこう)、衡山(こうざん)、泗水(しすい)の3郡に、漢代は揚(よう)、徐(じょ)、豫(よ)の3州に、唐代は江南(こうなん)、淮南(わいなん)、河南道に、宋(そう)代は江南東路、淮南東路、淮南西路、京西北路に、元代には河南、江浙(こうせつ)行中書省に属した。明(みん)代には南京(ナンキン)の直轄地となり、清(しん)代に安徽省が置かれた。

[林 和生 2017年2月16日]

 清代末期以降、太平天国の乱(1851~1864)の主戦場の一つとなるなど、頻繁に戦場となった。中華民国成立後は軍閥が入れ替わり立ち替わり支配権を握り、日中戦争勃発(1937)後は、蒋介石(しょうかいせき)率いる国民政府、日本の傀儡(かいらい)政権である汪兆銘(おうちょうめい)政権、さらには中国共産党の新四軍(しんしぐん)が相争う場となった。1941年には、国民政府軍により新四軍9000人が全滅する皖南事件が起きている。第二次世界大戦後の国共内戦では、共産党が支配権を確立した「三大戦役」の一つである淮海戦役の主戦場となった。

 中華人民共和国成立(1949)時、安徽省は皖北、皖南の2地区に分けられていたが、1953年に安徽省が再設置された。1958年からの大躍進政策や、人民公社成立による生産手段の「集団化」を実施した結果、1959年から1961年までの、いわゆる「三年自然災害」期間において、安徽省における非正常死亡(餓死)者数は633万人に達し、人口減少率は国内でもっとも高く18.4%であった。

 大躍進と文化大革命を経験した後、安徽省の農業生産力は大幅に低下し、農民の生活は困窮を極めた。こうした状況を背景に、1978年11月、鳳陽(ほうよう)県小崗(しょうこう)村の農民18人が地方政府に嘆願書を提出。これが聞き入れられ、小崗村では人民公社を廃して村内の土地を分配し、農業生産を各家庭に請け負わせる「家庭請負責任生産制」に移行した。その結果、農業生産量は前年の約5倍にはね上がり、小崗村での試みは改革開放路線のさきがけとなった。

[于 海春 2017年2月16日]

経済・産業

2015年の域内総生産(GDP)は2兆2006億元(約42兆円=同年平均為替(かわせ)レートで換算、以下同)で、国内31の省・直轄市・自治区のなかでは14位である。経済成長率は前年比8.7%増で、全国平均(6.9%増)を上回った。GDPの産業構成は第一次産業が11.2%(成長率は4.2%)、第二次産業が51.5%(同8.5%)、第三次産業が37.3%(同10.6%)である。

 省の主要企業としては、銅鉱業の銅陵(どうりょう)有色金属集団(国有企業、本社銅陵市)やセメントメーカーの安徽海螺(かいら)集団(国有企業、本社蕪湖(ぶこ)市)、自動車メーカーの奇瑞(きずい)汽車(チェリー。国有企業、本社蕪湖市)などがあげられる。

[于 海春 2017年2月16日]

農業

2014年時点の全耕地面積は590万7100ヘクタールである。1人当りの耕地面積は8.7アールで、全国平均(10.1アール)を下回る。地理的に中国の南部と北部の中間点に位置する省であることから、南部と北部の特徴的な農作物双方を生産する。北の淮河流域では小麦やトウモロコシなどが、湿潤温暖な南の揚子江流域では水稲やアブラナが栽培されている。

 安徽省は中国の重要な食糧生産拠点の一つであり、生産量は1978年の1483万トンから、1990年には2457万トンまで増え、改革開放後、着実な増加を示した。2012年3289万トン、2015年3538万トンと、増加傾向は続いている。商品作物では綿花や菜種油などを生産しており、2015年の綿花生産量は23万4000トン、菜種油生産量は227万9000トンであった。

 特産品としてとりわけ有名なのは茶葉(中国茶)である。黄山毛峰(ホワンシャンマオフォン)(主産地は黄山)、六安瓜片(リューアンクアピエン)(主産地は六安(りくあん)、金寨(きんさい))、祁紅(チーホン)(キーマンともいう。主産地は祁門(きもん))をはじめ、屯渓(トゥンシー)緑茶(主産地は屯渓(とんけい)など)、太平猴魁(タイピンホウクイ)(主産地は黄山)、鷹窩岩(インワイエン)茶(主産地は宣城(せんじょう))など多くの中国茶を生産する。2014年の生産量は11万1000トン。このうち5万2000トンが輸出され、輸出金額は204万ドルと、中国全体の14.3%を占める。主要な輸出先は1位がモロッコ(17.0%)、2位が日本(12.4%)で、輸出される茶葉の約8割は緑茶である。

 そのほか、碭山(とうざん)の酥梨(そり)(ナシの一種)、懐遠(かいえん)のザクロ、宣城市水東の蜜棗(みつそう)(インドナツメ)などが特産として知られる。

[于 海春 2017年2月16日]

資源

地下資源に恵まれており、20世紀初頭以降、イギリスや日本などにより鉄鉱石、石炭などの資源開発が進められた。とりわけ日本は1918年から日中戦争まで、繁昌(はんしょう)、当塗(とうと)などの地域から安価な鉄鉱石を日本本土へ大量に輸送していた。

 省内では160種類の資源が発見されており、そのうち123種類の埋蔵量が確認されている。なかでも石炭、鉄、銅、黄鉄鉱石灰岩、岩塩、硫酸カルシウムの7種類は埋蔵量がとくに多く、いずれも国内10位以内である(2015)。馬鞍山(ばあんさん)鉄山や銅陵銅山、淮南・淮北の炭田などは全国的に知られる。

[于 海春 2017年2月16日]

鉱工業

豊富な鉱産資源を有することから、改革開放後は石炭などエネルギー関連産業や石油化学工業、鉄鉱石や銅の鉱業・製錬業を中心とする重工業が省経済を支えた。都市別にみると、淮南では石炭鉱業、馬鞍山では鉄鋼業、銅陵では非鉄金属工業、安慶、銅官(どうかん)では石油化学工業、合肥、蚌埠(ほうふ)、蕪湖では機械工業、電子工業、紡績工業、食品加工業などが発展している。また、合肥は家電製品の生産量が国内1位で、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、テレビの四大家電の生産量は中国全体の約2割を占める。

 伝統工芸では、硯(すずり)、筆、墨、紙の「文房四宝」の名産地として知られる。宣城の宣紙(せんし)、歙(きゅう)県の歙硯(きゅうけん)や徽墨(きぼく)はとくに有名。

[于 海春 2017年2月16日]

賃金水準

都市部の非私営企業従業員の平均年収は5万0894元(2014、約87万5000円)で、全国平均(5万6360元)の90.3%にあたる。2000年時点の年収は全国平均の74.6%であったが、2005年には83.5%、2010年には91.2%となり、全国平均との差は縮小傾向にある。

 2015年の1人当り可処分所得は1万8363元(約35万3000円)で、前年比で9.3%増加した。都市・農村別にみると、都市部は2万6936元(約51万8000円、前年比8.4%増)、農村部は1万0821元(20万8000円、同9.1%増)である。都市部と農村部の所得格差は2005年時点では3.21倍であったが、2010年2.99倍、2013年2.85倍、2015年2.49倍と、若干の格差解消がみられた。

[于 海春 2017年2月16日]

対内直接投資

2014年の海外(香港(ホンコン)を含む)からの直接投資額は123億3978万ドルで、製造業(44.5%)と不動産業(29.2%)に集中している。国・地域別でみると、1位が香港で全体の62.2%、2位は台湾で同6.6%、3位はアメリカで同5.5%である。2014年には、アメリカ家電メーカーのワールプールWhirlpool Corporationが合肥市にあった三洋電機の現地合弁企業を買収し、同市に進出した。その他、ハネウェル、デュポン、キャタピラー、化学・事務用品メーカーの3M(スリーエム)など、アメリカの有力企業が安徽省に進出している。

 なお、日本からの直接投資額は3080万ドルで、全体のわずか0.2%を占めるにとどまった。

[于 海春 2017年2月16日]

交通

安徽省を走る高速鉄道は、京滬(けいこ)高速鉄道(北京(ペキン)―上海(シャンハイ))、寧安城際鉄道(南京(ナンキン)―安慶)、合蚌旅客専用線(合肥―蚌埠)、合武旅客専用線(合肥―武漢(ぶかん))、合福旅客専用線(合肥―福州(ふくしゅう))などである。また、鄭合(ていごう)高速鉄道(鄭州(ていしゅう)―合肥)と商杭(しょうこう)旅客専用線(商丘(しょうきゅう)―杭州)が2020年に開通予定である。高速鉄道利用で、合肥から北京まで約4時間、上海まで約3時間である。

 2014年時点で開通している道路の総延長は17万4373キロメートルで、このうち高速道路は3752キロメートルである。主要な高速道路としては、北京から台北(たいほく)を結ぶ計画の京台高速道路のほか、滬陝(こせん)高速道路(上海―西安(せいあん))、滬蓉(こよう)高速道路(上海―成都(せいと))などがあげられる。

 水上交通では、揚子江流域に合肥港、蕪湖港、安慶港、馬鞍山港、銅陵港、池州(ちしゅう)港を擁するほか、淮河流域には淮南港、阜陽(ふよう)港、宿州(しゅくしゅう)港、淮北港、滁州(ちょしゅう)港の計11の港がある。

 空路は、合肥新橋国際空港、黄山屯渓国際空港、阜陽西関国際空港、安慶天柱山空港、池州九華山空港などの空港がある。

[于 海春 2017年2月16日]

文化

教育

合肥にある中国科学技術大学は、先端技術の研究で有名な総合大学である。1958年9月に北京で創立され、1970年代初頭に合肥に移転した。中央政府により「国家重点大学」に指定されている。優秀な少年を選抜してエリート教育を施す特別クラス「少年班」を設置している。2016年『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』誌の「アジア大学ランキング」では14位(国内では3位)に名を連ねた。

[于 海春 2017年2月16日]

世界遺産の登録

安徽省には3件の世界遺産がある。一つ目は1990年に複合遺産(文化、自然の両方の価値がある遺産)として登録された「黄山」である。天都峰、蓮花嶺(れんかれい)、光明頂など複数の峰からなる山で、とくに怪石、奇松、雲海は「黄山の三絶(三奇)」として知られる。二つ目は2000年に文化遺産として登録された「安徽南部の古村落:西逓(せいてい)・宏(こう)村」である。西逓村、宏村はともに黄山市黟(い)県に位置する。西逓村は宋代の元祐年間(1086~1093)にできた村落で、18世紀から19世紀にかけて繁栄した。当時の民家が約200棟現存する。宏村は同じく宋代の政和年間(1111~1118)に形成された村落である。明・清代の民家と水路が残され、それらの配置が牛の形に見立てられている。三つ目は2014年に文化遺産に登録された「中国大運河」である。安徽省は大運河が通る主要な地域の一つであり、宿州市や淮北市にある運河や遺跡が構成資産とされた。

[于 海春 2017年2月16日]

日本との関係

外務省編『海外在留邦人数調査統計』によると、2015年(平成27)10月時点の在留邦人数は394人で、内訳は合肥市に244人、蕪湖市に118人などである。安徽省に進出している日系企業数は2013年時点で150。主要な企業としては、蕪湖に拠点を構える日立製作所、合肥に拠点を構える医療機器メーカー・ニプロとベアリングメーカーの日本精工があげられる。

 1985年(昭和60)安徽省の視察団が高知県を訪れたことをきっかけに両省県は交流を始め、1994年(平成6)に友好提携が締結された。

[于 海春 2017年2月16日]

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