改訂新版 世界大百科事典 「安達憲忠」の意味・わかりやすい解説
安達憲忠 (あだちけんちゅう)
生没年:1857-1930(安政4-昭和5)
明治・大正期の社会事業家。岡山の人。幼くして母と死別,遠戚の天台宗寺院で育ち,仏教を修める一方,藩校で経学を学ぶ。新聞記者として自由民権運動にたずさわり,岡山自由党の四天王の一人と称され,集会条例違反で入獄したこともある。その後上京し,1888年東京府に奉職,92年養育院幹事となる。1919年退職するまで,渋沢栄一養育院院長の補佐役として,井之頭学校,安房分院,巣鴨分院,板橋分院の創設等にかかわり,養育院の発展に尽力した。また感化救済事業を生む母胎となった〈貧民研究会〉を組織したり,無料宿泊所や職業紹介所等の防貧施設の創設にもたずさわり,社会事業の普及発展に寄与した。著書に《窮児悪化の状況》(1898),《貧か富か》(1922)などがある。
執筆者:岡本 多喜子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報