安達潮花(読み)あだちちょうか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安達潮花」の意味・わかりやすい解説

安達潮花
あだちちょうか
(1887―1969)

いけ花流派、安達式挿花の創始者家元広島県の寺に生まれ、幼少からいけ花を学び、18歳のころ、すでにその花技と才能が京都六角堂池坊の家元にも認められるほど頭角を表したが、当時因習と伝統に縛られていた池坊いけ花に飽き足らず、新しい時代の要求にこたえるため、安達式飾花(しょくか)(盛花(せいか))をくふうし、1917年(大正6)に一流を創始した。洋花の装飾性をも生かしたその花型は大いに受け、花型の規格や教授法の合理化と相まって、大正期のいけ花界に目覚ましい発展を示した。第二次世界大戦後は前衛いけ花を嫌い、正調いけ花運動を提唱したが、昔日の力は示されずに終わった。安達式挿花はその後潮花の娘、曈子(とうこ)(1936―2006)の花芸安達流に引き継がれた。

[北條明直]

『安達曈子著『花芸への道』(1982・講談社)』『安達曈子著『花芸365日』(1994・小学館)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安達潮花」の意味・わかりやすい解説

安達潮花
あだちちょうか

[生]1887.12.11. 広島
[没]1969.6.5. 東京
生け花作家。安達式挿花初代。名は良雄池坊を学んでいたが東京に出て 1912年に「安達式挿花」を創流,17年5月に第1回展を催して注目され発展した。最初は花型を否定しのちに重視する。花型に立華流儀の名残りがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安達潮花」の解説

安達潮花 あだち-ちょうか

1887-1969 大正-昭和時代の華道家。
明治20年12月11日生まれ。安達曈子の父。池坊(いけのぼう)の生け花をおさめ,大正6年安達式挿花(そうか)を創始し,初代家元となる。生け花の大衆化につとめた。昭和12年安達式挿花芸術学院を設立。昭和44年6月5日死去。81歳。広島県出身。早大中退。本名は良雄。

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世界大百科事典(旧版)内の安達潮花の言及

【池坊】より

…池坊もしばらく沈滞していたが,古い伝統をもつため他流より早く復活し,明治のいけばな界に再び支配的地位を保つようになった。しかし池坊から離れて自由な創造をめざすものも多くなり,吉村華芸(かうん)の池坊竜生派,小原雲心の小原流などが成立,大正期にはいると安達潮花の安達式など斬新な作風の作家たちが独立し,創流をするようになった。第2次大戦後の池坊は近代の盛花や投入だけでなく,現代いけばなの研究にも力をそそぎ海外への進出もはかるようになった。…

【いけばな】より

…盛花ははじめは自然主義的なものであったものが,やがて洋花を使った色彩豊かな盛花が考案されるようになってから,洋風なテーブルの上に置くことのできるいけばなとして,大正年間にかけて非常に流行した。安達潮花はこれを当初飾花(かざりばな)とも呼んだが,当時のブルジョア層の応接間という新しい室内空間に機能するものとして発展していった。こうした新しい形式の盛花の出現に刺激されて,西川一草亭に代表される文人花の長所に注目し,形よりも理念を先行させたいけばなを目ざして山根翠堂たちによる自由花の運動がはじめられた。…

※「安達潮花」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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