朝日日本歴史人物事典 「安部井磐根」の解説
安部井磐根
生年:天保3.3.17(1832.4.17)
明治期の政治家。父は二本松藩(福島県)勘定奉行安部井又之丞。父と共に江戸藩邸に移り奏者番を務める。そのころ,本居宣長の学問に傾倒した。戊辰戦争(1868~69)に際して帰順工作に努めたがならず,藩とともに新政府に抗し朝敵となった。維新後,藩の旧領回復に奔走し声望をあげる。若松県(福島県)監査,福島県会議長などを務めたが県令三島通庸を嫌忌し辞職した。第1回衆院議員選挙(1890)に当選し,吏党大成会の領袖となった。初期議会では神鞭知常らと大日本協会を組織し,現行条約励行論,内地非雑居論を主張,対外硬派の中心として政府を攻撃した。明治35(1902)年引退して二本松に帰る。<参考文献>佐倉孫三『安部井翁小伝』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報