宋祁(読み)そうき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宋祁」の意味・わかりやすい解説

宋祁
そうき
Song Qi

[生]咸平1(998)
[没]嘉祐6(1061)
中国,北宋の歴史家,文学者。安州安陸 (湖北省) の人。字,子京。諡は景文。天聖2 (1024) 年,兄の宋庠 (そうしょう) とともに進士及第,「大小宋」と並称されて才名をうたわれた。国子監直講,知制誥などを経て,翰林学士,史館編集となり,十数年間欧陽修らと『新唐書』の編述従事。のち翰林学士承旨を経て,羣牧使となって没した。『新唐書』別伝の執筆のほか『宋景文公文集・詩集』『益部方物略記』などがある。また,王禹しょう晏殊 (あんしゅ) ,欧陽修らと,宋初の高級官吏間における詞作の風潮をつくった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宋祁」の意味・わかりやすい解説

宋祁
そうき
(998―1061)

中国、宋(そう)代の文学者。字(あざな)は子京(しけい)。安陸(湖北省)の人。1024年(天聖2)に兄宋庠(そうしょう)とともに進士に及第。「大小宋」とよばれて才名をとどろかせた。竜図閣学士・史館修撰(しかんしゅうせん)のとき欧陽修(おうようしゅう)とともに『新唐書』の作成にあたり、十数年をかけて列伝150巻を完成。その後、官は工部尚書に至り、兄宋庠は宰相に至った。著に『宋景文集』がある。詞人として張先(ちょうせん)と親しく、張先をその詞句から「雲破月来花弄影(くもやぶれつききたりてはなかげをろうす)」の郎中とよび、張先も宋祁を「紅杏枝頭春意閙(こうきょうしとうしゅんいさわぐ)」の尚書とよんだ話は有名である。

[横山伊勢雄]

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世界大百科事典(旧版)内の宋祁の言及

【唐書】より

…中国,王朝(618‐907)の正史で旧・新の2種がある。《旧唐書(くとうじよ)》は200巻で,後晋の劉昫(りゆうく)らの奉勅撰。本紀20巻,志30巻,列伝150巻から成る。《新唐書》は225巻で,宋の欧陽修らの奉勅撰。本紀10巻,志50巻,表15巻は欧陽修が,列伝150巻は宋祁(そうき)(998‐1061)が撰述した。《旧唐書》は,編纂の当時,唐初から武宗朝以前については実録も残っていて,それらの材料を手を加えずに忠実に伝えているので,史料としては貴重なことが多いが,宣宗朝以後の部分は,唐末の混乱期に根本史料が失われたので,史料不足による不備がめだつ。…

※「宋祁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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