定使(読み)じょうづかい

精選版 日本国語大辞典 「定使」の意味・読み・例文・類語

じょう‐づかい ヂャウづかひ【定使】

〘名〙
① =じょうし(定使)〔文明本節用集(室町中)〕
江戸時代、村の庄屋に所属して、庄屋の補佐をし、村方三役名主組頭百姓代)が制度化されてからは、もっぱら村の内外連絡事務を受け持った用務者。
御触書寛保集成‐二二・万治元年(1658)一二月「覚〈略〉一、助馬之村々庄屋、組頭、定使誓詞右同断」

じょう‐し ヂャウ‥【定使】

〘名〙 中世荘園国衙領において、年貢公事などの督促にあたった者。また、本寺末寺のあいだの連絡などにあたった者。じょうづかい。
※中右記‐保安元年(1120)六月一七日「件兼元先年為小泉庄定使之間、取清衡金馬檀紙等者也」

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改訂新版 世界大百科事典 「定使」の意味・わかりやすい解説

定使 (じょうづかい)

近世において名主・庄屋のもとにあって村民や他村の村役人との連絡に当たるもの。村民を呼び集めたり,領主からの触書・廻状類を隣村に持ち運ぶのが主要な役目で,村入用の中から給料を受ける。1723年(享保8)の武蔵国多摩郡小川村(現,東京都小平市)の〈村入用帳〉に〈一,金弐両 右ハ定使壱人給金扶持方,宿並表間口壱間ニ鐚(びた)三文ツヽ〉と見える。小川村は武蔵野にある670石余の畑作村で,この村には定使が1人おり,それが1年に金2両の給金を受けていたことがわかる。同村における当時の奉公人(一人前の男)の給金は2両よりやや少ない。この定使給は村民の屋敷間口1間につき鐚3文ずつ割り当てられていた。小川村の定使はおそらく名主屋敷に常時詰めて諸用を弁じたのであろうが,村によっては平常は自宅で仕事をし用事のあるごとに名主宅へ赴く定使もいたようで,旧名主宅には,定使を呼ぶときに吹き鳴らすほら貝を蔵しているような場合もある。なお中世については〈定使(じようし)〉の項目を参照。
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定使 (じょうし)

中世の荘園や国衙領で,検注や年貢・公事の督促等のために派遣される者。〈じょうづかい〉とも呼ぶ。史料上の初見と思われるのは,1080年(承暦4)12月19日の東大寺政所下文で,伊賀国黒田荘の加地子督促に当たる〈定使光国〉である。また1135年(保延1)10月,大和国寛御厨の検田馬上帳の注進をしているのは〈定使貞元〉である。一般に定使は一時的な使者ではなく,さきの光国がその後もひきつづき黒田荘の定使として現れるように,永続的に特定荘園等にかかわるものであった。そのため47年(久安3)7月の東大寺御油公事注進状に見られる〈荘々定使料六石六斗〉のような定使料のみならず,60年(永暦1)12月の弓削荘検田目録注進状に見られる〈定使給五反〉のように,荘内に給田が設定されており,いわば荘官に準ずるような存在であった。なお近世については〈定使(じようづかい)〉の項目を参照。
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世界大百科事典(旧版)内の定使の言及

【定使】より

…〈じょうづかい〉とも呼ぶ。史料上の初見と思われるのは,1080年(承暦4)12月19日の東大寺政所下文で,伊賀国黒田荘の加地子督促に当たる〈定使光国〉である。また1135年(保延1)10月,大和国寛御厨の検田馬上帳の注進をしているのは〈定使貞元〉である。…

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