定善寺(読み)じようぜんじ

日本歴史地名大系 「定善寺」の解説

定善寺
じようぜんじ

[現在地名]日向市山下町

塩見しおみ川の河口近くの南岸小丘陵上に位置する。日知屋山と号し、日蓮正宗本尊十界大曼荼羅。久妙両山並定善寺由来書と日叡上人縁起(定善寺文書)によれば、もとは真言宗修験道の行縢むかばき(現延岡市)支院であったが、院主甲斐法橋隆覚が日能に帰依し、元弘元年(一三三一)死去の際法華堂に改めた。隆覚の子薩摩は、日郷(安房の妙本寺の開山)の付法の弟子となり富士門流(とくに妙本寺)に帰属し、建武三年(一三三六)に日叡と名乗り、日知屋ひちやの甲斐殿屋敷を本善ほんぜん寺とし、さらに当寺を日蓮宗財光ざいこう寺として中興したという。日叡上人縁起では定善寺を「日知屋道場」「日知屋山道場」とも記す。

定善寺
じようぜんじ

[現在地名]水戸市酒門町

国道六号の西側、東茨城台地の北端に位置し、善重ぜんじゆう寺の東北約二五〇メートルにある。普川山天照院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)下荒地しもあらじ(現久慈郡金砂郷村)に「常善寺」と記され、「此寺永禄拾弐年巳ノ八月十八日より行誉上人建立仕」とあり、除地四斗余、檀那一二〇人を有した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「定善寺」の意味・わかりやすい解説

定善寺【じょうぜんじ】

宮崎県日向(ひゅうが)市にある日蓮正宗の寺。1331年日叡(にちえい)が父隆覚(りゅうかく)(真言宗修験者)没後阿弥陀堂を法華堂に改め開創という。日叡は以後西南九州に日蓮宗寺院を建立して教線を拡大,九州本山と呼ばれたという。

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