宝厳寺(読み)ほうごんじ

精選版 日本国語大辞典 「宝厳寺」の意味・読み・例文・類語

ほうごん‐じ【宝厳寺】

滋賀県東浅井郡びわ町にある真言宗豊山派の寺。山号は巖金山。神亀元年(七二四聖武天皇の勅願により創立。開基は行基。本尊は弁才天女像および千手千眼観世音像。弁才天は厳島・江の島のそれとともに日本の三弁天の一つ。伏見城の遺構の唐門と竹生島経と呼ばれる法華経序品は国宝。西国三十三所の第三〇番札所。竹生島観音。

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デジタル大辞泉 「宝厳寺」の意味・読み・例文・類語

ほうごん‐じ【宝厳寺】

滋賀県長浜市の竹生島にある真言宗豊山派の寺。山号は、巌金山。西国三十三所第30番札所。神亀元年(724)行基が勅願により弁才天を祭って創建したと伝える。伏見城の遺構である唐門(国宝)・観音堂(重文)がある。広島の厳島、神奈川の江の島とともに日本三弁天の一。竹生島弁天。竹生島観音。
愛媛県松山市にある時宗の寺。山号は、豊国山。開創は天智天皇5年(665)と伝えられ、初め天台宗。時宗の開祖一遍の誕生地。

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日本歴史地名大系 「宝厳寺」の解説

宝厳寺
ほうごんじ

[現在地名]びわ町早崎

竹生ちくぶ島にある。真言宗豊山派に属し、巌金山と号する。本尊は大弁才天女。天正四年(一五七六)の参百石目録(寺蔵文書)に四四坊が載る。この三〇〇石は、同二年に羽柴秀吉が「竹生島衆中」に与えた「早崎郷之内、参百石」に由来し(竹生島文書)、慶長八年(一六〇三)の竹生島寺領置目(同文書)に寺名がみえ、三〇〇石のうちの四七石余が、寺務を懈怠した場合には惣中へ返付することを条件に月定がつじよう院・一乗いちじよう院など二三の「煙立寺」に分配されている。なお煙立寺とは独立して寺務を行う院坊をさすとされる。享保一九年(一七三四)には九院になっていた(輿地志略)

宝厳寺
ほうごんじ

[現在地名]松山市道後湯月町

道後湯之どうごゆの町の遊郭であったまつ町を上りつめた奥谷おくたににある。豊国山遍照院と号し、本尊は阿弥陀如来。寺伝によると古くは誓願院と称し、七世紀の中頃河野守興によって創建されたという。もとは天台宗で、境内も広く法雲・善成・興安・医王などの一二の支院があり、正応五年(一二九二)に時宗に改めたと伝えられる。

奥谷は延応元年(一二三九)に時宗の開祖一遍が誕生した所である。一遍は河野通広の第二子で、諸国を行脚して革新的な時宗の基礎を確立した宗教改革家で、世に遊行上人と尊称された。元弘四年(一三三四)得能通綱がこの地に「一遍上人御誕生旧跡碑」を建立した。もとこの碑は宝厳寺の総門のあった松ヶ枝町入口にあったが、大正一五年(一九二六)に現在の境内に移された。

宝厳寺
ほうごんじ

[現在地名]青山町寺脇

集落の北西部、安田やすだにある。山号宇霧須山。真言律宗。本尊は秘仏の地蔵菩薩半跏像。「三国地志」は「按、亀山院ノ勅ニ依テ、文永四年建、天皇能作障玉此ニ蔵ム、故ニ宝厳ノ名アリト云。(中略)天正乱マデハ黒田寺・安田寺・道仙寺・長尾寺来迎寺・岩間寺ノ六ノ子院アリト云」と伝えるが、詳細は不明。ただ天正一八年(一五九〇)再建時の棟札が残っている。「持戒清浄印明」本奥書(横浜市金沢文庫蔵)に「正和三年甲寅、大神宮参詣之時、令寄宿伊賀国阿保庄地蔵堂、于時閏三月二日酉尅、対彼寺主行願房玄海上人、奉伝授右印明了 末資湛睿」とあり、鎌倉末期には地蔵堂ともよばれていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝厳寺」の意味・わかりやすい解説

宝厳寺
ほうごんじ

滋賀県長浜(ながはま)市早崎、竹生島(ちくぶしま)(琵琶(びわ)湖の北端)にあり、真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派に属する寺。山号は巌金山(がんこんざん)。本尊は千手千眼観音菩薩(せんじゅせんげんかんのんぼさつ)と弁才天。弁才天の霊地として知られ、古来、巌島(いつくしま)、江の島とともに日本三弁天の一つに数えられる。また千手観音を安置するため、俗に竹生島観音といわれる。西国三十三所第30番札所。奈良時代、行基(ぎょうき)の開創と伝えられ、第一宝殿に弁才天を、第二宝殿に千手観音を安置した。以来、貴顕庶民の信仰が厚く、繁栄したが、1558年(永禄1)諸堂を焼失、のち豊臣秀頼(とよとみひでより)が発願して再興した。明治維新で神仏分離し、弁才天を祭る本殿を都久夫須麻(つくぶすま)神社と称し、その他をすべて宝厳寺に付属させた。現存する建造物のうち、唐門(からもん)(国宝)と観音堂(国重要文化財)は都久夫須麻神社の本殿(国宝)とともに伏見(ふしみ)桃山城の遺構で、豪華な桃山建築として知られる。寺宝に、弘法大師(こうぼうだいし)空海の『御請来(しょうらい)目録』、絹本着色の十六羅漢(らかん)図、釈迦(しゃか)三尊図、阿弥陀来迎(あみだらいごう)図、如意輪観音図(以上、国重要文化財)、『法華経(ほけきょう)』「序品(じょぼん)」(鎌倉時代、国宝)などがある。寺域の竹生島は、琵琶湖八景の一つに数えられている。

[勝又俊教]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宝厳寺」の意味・わかりやすい解説

宝厳寺
ほうごんじ

滋賀県北部,長浜市にある真言宗の寺。琵琶湖竹生島にあり,奈良時代に行基が創建したと伝えられる。西国三十三所第 30番札所。弁天堂の本尊は日本三弁天の一つ。唐門は国宝,観音堂,渡廊(低屋根・高屋根),五重塔は国の重要文化財に指定されている。

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デジタル大辞泉プラス 「宝厳寺」の解説

宝厳寺(ほうごんじ)

滋賀県長浜市、琵琶湖に浮かぶ小島、竹生(ちくぶ)島にある寺院。真言宗豊山派。山号は巌金山。本尊の弁才天像は、江戸時代には日本三弁天のひとつとされた。観音堂は西国三十三所第30番札所で、国の重要文化財。唐門は国宝に指定。竹生島観音ともいう。

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百科事典マイペディア 「宝厳寺」の意味・わかりやすい解説

宝厳寺【ほうごんじ】

都久夫須麻(つくぶすま)神社

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事典・日本の観光資源 「宝厳寺」の解説

宝厳寺

(滋賀県長浜市)
日本三弁天」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の宝厳寺の言及

【安土桃山時代美術】より

…それに続く文禄1‐慶長5年(1592‐1600)は,桃山美術の完成期ともいうべき重要な時期である。この時期の建築の遺品は少ないが竹生島にある宝厳寺の唐門と都久夫須麻神社本殿は,1599年(慶長4)造営の豊国廟の一部遺構と推定されている。その内外の建築装飾は鳥獣,草花などをモティーフとし,派手な彩色や牡丹唐草の精巧な透し彫など他の時代に見られぬ生気にあふれた意匠を展開している。…

【竹生島】より

…弁天のゆかりにより,琵琶にまつわる説話は少なくない。神社に隣接する宝厳寺は現在,真言宗豊山派に属し,山号を巌金山という。伝えによれば,はじめ竹生島寺といい,行基を開基とした。…

【都久夫須麻神社】より

…一方,周囲の庇の細部には,室町時代の手法をみせている。この神社に隣接する宝厳寺には桃山時代の観音堂(重要文化財),唐門(国宝)があり,このうち唐門は1602年豊国廟(豊国神社)から移築した向(むかい)唐門で,木柄が太く大虹梁の上に大きな蟇股(かえるまた)をおき,その両側や虹梁の下に花鳥の彫刻をはめ,桟唐戸や小脇羽目(こわきばめ)には牡丹唐草風の彫刻を埋め,豪華な桃山時代の特徴をいかんなく表している。都久夫須麻神社本殿母屋部分は,伏見城の建物の寄進と伝えられるが,宝厳寺唐門と同様に豊国廟の遺構の可能性もある。…

※「宝厳寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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