朝日日本歴史人物事典 「宝山左衛門(2代)」の解説
宝山左衛門(2代)
生年:天保6(1835)
江戸後期・明治期の歌舞伎囃子方。望月太十郎の子。5代目望月太左衛門の門弟。本名,田中次郎兵衛。前名望月鶴三郎,2代目福原百之助。のち6代目望月太左衛門。明治2(1869)年,望月太喜蔵が6代目太左衛門を襲名したのを不満として静岡へ移り,同地に住む初代宝山左衛門の実子で振付師をしていた花川蝶十郎から親の名跡を譲り受け,2代目宝山左衛門を名乗って帰京,明治期の歌舞伎囃子界で中心人物のひとりとして活躍した。38年,7代目望月太左衛門の襲名に対抗し,太喜蔵の6代目を無視して6代目望月太左衛門を名乗った。ここにふたり太左衛門の時代が出現したが,山左衛門の太左衛門が没して,この対立は自然解消した。実子が3代目を継いだが,これは「ほう・さんざえもん」とも称したという。
(小林責)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報