宮崎道三郎(読み)みやざき みちさぶろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎道三郎」の解説

宮崎道三郎 みやざき-みちさぶろう

1855-1928 明治-大正時代の法学者。
安政2年9月4日生まれ。明治14年東京大学助教授,17年ドイツ留学。21年帰国とともに帝国大学法科教授となり,ローマ法,法制史を講義した。昭和3年4月18日死去。74歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。東京大学卒。号は津城

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の宮崎道三郎の言及

【法制史】より

…しかし法学一般がヨーロッパ,とくにドイツの法学を模範にするという当時の風潮はやがて法制史に及び,ローマ法はもとより,日本法制史の研究者もドイツへ留学し,そこで身につけたドイツ法制史の方法をとり入れるに至った。〈法制史〉講座初代担当者宮崎道三郎はグリム兄弟のひとりヤーコプ・グリムの影響を受け,みずからは古代法を言語学ないし語源学的角度から探究することに没頭するとともに,ドイツ法制史の研究が日本法制史研究の参考のために必要だとして〈比較法制史〉講座設置を希望し,実現させたのである。宮崎門下の中田薫もドイツへ留学し,はじめ〈比較法制史〉講座を,宮崎の停年退官後は〈日本法制史〉講座を担当したが,日本法制史の研究にあたってほとんど終始ドイツ法制史との比較という方法をとりつづけた。…

※「宮崎道三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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