宮瀬竜門(読み)みやせ・りゅうもん

朝日日本歴史人物事典 「宮瀬竜門」の解説

宮瀬竜門

没年:明和8.1.4(1771.2.18)
生年享保4.12.10(1720.1.19)
江戸時代中期の漢詩人。紀州(和歌山県)の人。名は維翰,字は文翼,通称は三右衛門。竜門は号。祖が後漢・献帝の孫志賀穴大村王から出たとして,劉氏を称す。宮瀬家は代々和歌山藩医であったが,竜門に至って除籍された。学問は,徂徠学に私淑していた上野海門に師事,のちに江戸に出て服部南郭門に入る。だが,しばらくして門人たちに疎まれ,門を退く。その後,文章家としての名声を得,同じ古文辞学派でありながら,南郭門とは趣を異にする風を築き,反徂徠学に向かう次の世代の呼び水的存在となった。<著作>『竜門先生文集』

(高橋昌彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮瀬竜門」の解説

宮瀬竜門 みやせ-りゅうもん

1720*-1771 江戸時代中期の儒者
享保(きょうほう)4年12月10日生まれ。生家は代々の紀伊(きい)和歌山藩医。わけあって除籍され,江戸で服部南郭(なんかく)にまなぶ。文章にすぐれ,南郭,大内熊耳(ゆうじ)につぐと評された。遠祖にちなみ,劉(りゅう)氏も称した。明和8年1月4日死去。53歳。名は維翰。字(あざな)は文翼。通称は三右衛門。著作に「竜門先生文集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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