宮腰(読み)みやのこし

百科事典マイペディア 「宮腰」の意味・わかりやすい解説

宮腰【みやのこし】

犀(さい)川河口右岸に位置する中世以来の湊町で,現在の金沢市金石本(かないわほん)町などにあたる。中世は大野荘赤土(あかつち)村のうちで,日本海沿岸の流通拠点の一つとなっていた。1372年室町幕府は,大野荘湊に着岸する商船に対する守護の公事課役の停止を命じているが,同湊は宮腰・大野両湊の総称とされる。説経節の〈をぐり〉には宮腰の商人が登場する。近世初頭,金沢藩は城下と宮腰を結ぶ道や水路の整備を行うとともに,宮腰町奉行を置いて,当地を藩の外港とした。以降大量の奥羽木材・能登塩や燃料の牧木などが移入される一方,大坂廻米などが積み出され,領内第一の湊として繁栄した。北前船の船問屋,船宿が軒を連ね,豪商として知られる海運業者銭屋五兵衛も当地を拠点とした。19世紀中頃の戸数1496軒,人数5008。隣接する大野湊と木材移入をめぐる争論があった。1866年藩は当地と大野の合併を命じ,金石町となる。1943年金沢市に合併。

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改訂新版 世界大百科事典 「宮腰」の意味・わかりやすい解説

宮腰 (みやのこし)

加賀国(石川県)金沢城下町から海岸へ4km,犀川(さいがわ)河口に位置する外港。現金沢市金石(かないわ)。石川郡大野荘に属する中世以来の湊として知られる。地侍中山主計(かずえ)が加賀に入った前田利家を金沢城に先導した功により,主計は利家画像を賜り,子孫町年寄世襲,湊は外港としての特権を得た。1616年(元和2)町奉行が置かれ,金沢~宮腰間に直線の宮腰往還がつけられた。金沢の城内,城下町のために大量の奥羽木材,能登塩,燃料の牧木(まきぎ)が入港し,また大坂廻米が出港するなど,領内第1の港となった。北前船(きたまえぶね)の船問屋,船宿が軒を並べ,豪商銭屋五兵衛が有名である。19世紀半ばの戸数は1496軒,人口5008。隣接の大野湊と木材移入権を争い,1866年(慶応2)藩が合併を命じ〈金石の交わり〉を求めたことから金石町となった。大野町が分離したのちも金石町を称し,1943年金沢市に合併。
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世界大百科事典(旧版)内の宮腰の言及

【犀川】より

…全長34km,流域面積256km2。河口にある金石港は,古くは宮腰(みやのこし)港と呼ばれ,藩政時代は城下町金沢の外港として重要視された。かつてはしばしばはんらんし,沿岸に水害をもたらしたが,上流部の二又新町地内に犀川ダム,支流内川に内川ダムが完成して洪水は防止され,市街地の両岸の河川敷は緑地公園となった。…

【銭屋五兵衛】より

…幕末期の加賀国宮腰(みやのこし)の富豪の海運業者。姓は清水,幼名茂助,俳号亀巣。…

※「宮腰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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