宮間あや(読み)みやまあや

知恵蔵 「宮間あや」の解説

宮間あや

1985年1月28日生まれ、千葉県山武郡大網白里町出身の女子サッカー選手、なでしこジャパンミッドフィールダー。高校時代にサッカー全国制覇の経験を持つ父・文夫(現・大網白里町町議会議員)が作った「フッチボールSurf」で、小学校1年生からサッカーを始める。
小学校5年生の時、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」の親善大使としてアメリカのサンディエゴでの試合を経験、この時、後にチームメートとなる元日本女子代表の本田美登里と出会う。
読売メニーナ(現日テレ・メニーナ、99年NTVベレーザ・現日テレ・ベレーザへ昇格)に所属していたが、幕張総合高等学校(千葉県)2年生時退団。卒業を待って、2001年に本田美登里が率いる岡山湯郷Belle(岡山県)に第一期生として入団し、温泉旅館で清掃のアルバイトをしながらチームの主力選手として活躍。好きな言葉は「Make it happen」=「それを実現する」だというが、まさに彼女の戦い方そのものがその言葉通りと言えそうだ。
03年、日本代表に召集されて、FIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会に出場。04年のU-19アジア女子選手権では主将を務めた。同年、L・リーグ(なでしこリーグ)で2部リーグ得点女王と最優秀選手に選出され、翌シーズンにはチームを1部昇格へと導いた。
09年、米国WPS傘下のロサンゼルス・ソル移籍。チーム側の撤退等で、セントルイス・アスレティカ、アトランタ・ビートと移籍し、1年間で3チームに在籍した。この在米時代に、欧米の一流選手たちと交流、友情が生まれた。
11年、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会出場。フリーキックを決めた初戦のニュージーランド戦と準決勝のスウェーデン戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチ獲得。決勝のアメリカ戦に勝利した直後、旧知のアメリカ選手たちに歩み寄って敬意を表し、ホープ・ソロ選手と語り合うさわやかな姿は、世界中から賞賛された。
12年現在、ロンドンオリンピック、サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)主将。準決勝でフランスを破り決勝進出を果たしたが、3連覇を狙うアメリカに1対2で敗れて銀メダル。日本サッカー女子がオリンピックでメダルを獲得するのは初。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮間あや」の解説

宮間あや みやま-あや

1985- 平成時代の女子サッカー選手。
昭和60年1月28日生まれ。ポジションMF。平成13年岡山湯郷Belle結成に参加。19年日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)ベストイレブン。初の日本代表(現・なでしこジャパン)は平成15年国際親善試合のタイ戦。20年北京五輪代表となり4位入賞をはたした。21年ロサンゼルス・ソルに移籍。同年9月岡山湯郷Belleにレンタル移籍。22年ロサンゼルス・ソルの解散でセントルイス・アスレティカに移る。同年岡山湯郷Belleに移籍。フリーキックの正確さで知られる。23年FIFA女子ワールドカップで日本代表に選ばれ,全試合に先発出場し,決勝のアメリカ戦では1得点・1アシストをするなど金メダル獲得に貢献。24年ロンドン五輪代表となり,主将として全6試合に出場して銀メダルを獲得。27年FIFA女子ワールドカップ日本代表のキャプテンをつとめ,全7試合に出場して2ゴールをあげるなどチームを準優勝に導いた。千葉県出身。幕張総合高卒。

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