寄生地主制(読み)きせいじぬしせい

改訂新版 世界大百科事典 「寄生地主制」の意味・わかりやすい解説

寄生地主制 (きせいじぬしせい)

一般に寄生地主とは,小作農民に土地を貸し付けて地代(小作料)をとることを主としている地主経営の総称であって,農民の賦役労働に立脚する再版農奴主的地主経営に対比して用いられるものである。この寄生地主的経営,地主-小作関係が,農業における支配的・基本的な経済制度として,農業・農民の動向を左右する体制になっているとき,それを寄生地主制という。寄生地主制は,長らく日本における特徴的な経済制度と考えられてきたが,第2次大戦後の研究のなかで,イギリス,フランス等についても,過渡的なものとしてその存在が実証されている。

 日本における寄生地主制の歴史的位置については,二様の見解が存在する。その一つは,寄生地主制を戦前日本資本主義の構造の基底的一環として,かつ天皇制国家構成の不可欠の要素とみるもので,戦前の地主制研究はもっぱらこの観点で進められていた。その二は,封建制から資本制への移行期,すなわち封建農民の分解・本源的蓄積の過程に現れる過渡的経済制度とみるもので,これは戦後の研究のなかで明らかにされた観点である。こうした二様の理解は現在では統一的に把握され,資本関係形成の移行期における寄生地主制の過渡期的役割と,それが転化して資本主義の不可欠の一環として定置される構造的役割との二局面と理解されている。

 寄生地主制成立の前提は,いうまでもなく地主的土地所有の形成,地主-小作関係の成立である。これは江戸中期以降に発生し,農民的土地保有を蚕食しつつ領主的土地所有に対抗する第三の土地所有として展開した。地主は,農民の手中にある萌芽的利潤を収奪するとともに,高利貸等により農民保有地を集積して,地主-小作関係を拡大したのである。維新変革のなかで領主的土地所有が廃棄され(廃藩置県),地主的土地所有と農民的土地所有が法認されると(地租改正),地租負担の重圧やデフレの米価下落で農民が没落することもあって,地主の土地集積は急速に進んだ。このなかで土地を失った農民は,資本のための労働力として流出した(農民家族員の流出)。他方,地主は単に貸付地経営のみならず,諸営業にも着手し,地方における資本主義的諸関係展開をリードしていた。こうした経営を背景に,地主は政治的発言力をも増し,明治憲法帝国議会体制のなかで,日本の支配層の一角に地位を占めるに至った。

 このように,資本主義成立過程において一定の過渡的役割を果たした寄生地主制が,確立した日本資本主義の再生産構造の不可欠の一環となるためには,その再編が必要であった。1890年に始まる地主制の変化の一つは,早熟的かつ特権的に急成長してきた資本制との競争関係のなかで,地主の諸営業が解体し,地主がブルジョア的側面を失ったことである。二つには,国家および地主によって進められた農事改良が農民の生産力を高め,地主手作の生産力を超えたため,地主手作が放棄されて貸付地に変わり,地主の生産者的性格が消滅したことである。地主の寄生的性格が一段と強まったのである。こうした地主制の下で,小作農は高額小作料の重圧のため低賃金労働者として家族員を放出して,資本の利潤を保証することになった。また地主は,地租負担や地主資金の有価証券投資によって,資本に資金を提供した。逆に,資本の側の低賃金構造は,高額小作料負担に甘んじなければならない小作農をつくりだしていた。政治的には,地主は帝国議会や地方議会に進出し,地方における名望家支配を基盤として天皇制の階級的支柱となっていた。法的には,民法がその小作支配を守ることになった。

 こうして地主制は1900年代には完成したが,その本質は前期的資本による土地支配であって,本来資本制とは異質な経済制度であった。資本制と地主制の矛盾は,米穀市場と信用市場において現れた。資本の要求する低米価・低賃金構造は地主経済を圧迫し,また近代的信用制度の拡充は,地主の高利貸機能を制約した。このため,1920年代に入ると,地主経済は停滞し地主数は減少しはじめた。また小作防衛を主目的とする農民運動が展開して,地主制は危機段階に入っていった。こうしたなかで政府は,1920年以来の農業の慢性的不況,社会不安への対策として,一方では,小作争議弾圧と自作農創設維持資金による農民運動の鎮静をはかり,他方で,急激に発展した鉱工商業への食料供給の確保のため,米穀法制定(1921)などの食糧管理政策をとりはじめた。こうした状況は,1930年農業恐慌以降いっそう顕著となり,政治的にはともかく経済的には地主制は衰退傾向に入った。戦時体制に入ると,国家総動員体制の下で,地主の農村支配力も弱められ,食管制度,二重米価制,適正小作料の実施により,地主制切捨ての傾向が明確となった。こうして,敗戦後いちはやく農地改革の構想が提起されることになったのである。
農地改革 →農民運動
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百科事典マイペディア 「寄生地主制」の意味・わかりやすい解説

寄生地主制【きせいじぬしせい】

自らは農業を営まず小作料収入を生活の基礎とする寄生地主(大部分は居住地外に貸付地をもつ不在地主)が形成され,小作人による生産が基本となった農業経営形態。江戸時代に発生し地租改正で制度的に承認され,1900年代に確立,小作地率は45%に達した。昭和初期の農村恐慌以後,動揺を示したが,戦後の農地改革で解体されるまで日本の農村を支配。封建制から資本制へ移行する過渡期的な役割を担いつつ,低賃金を基礎として日本資本主義の構造基底部として不可分の関係にあった。
→関連項目小作制度在郷商人地主日本農業

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「寄生地主制」の意味・わかりやすい解説

寄生地主制
きせいじぬしせい

封建的大土地領有の枠内に生じ,完全な資本制的地主になりきらない,日本特有の半封建的地主制をいう。江戸時代中期以後,名子 (なご) ,下人 (げにん) の労働に依存する本百姓経営が分解するにつれて,零細な土地を多くの小作人に貸して耕作させ,高額の小作料を取立てる寄生地主が生じた。彼らは商業,高利貸を営むことが多かった。明治の地租改正により寄生地主は温存,展開され,1947年の農地改革まで存続した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「寄生地主制」の解説

寄生地主制
きせいじぬしせい

地主が所有地の大部分を多くの小作農民に貸し付け,高率な小作料を徴収する農業経営形態
江戸中期ころに始まり,地租改正で公認されて以来全国的に形成され,1908年には小作地率45%に達した。第二次世界大戦後の農地改革まで,日本農業の基本的な生産関係をなして,農村における商品生産の発展を阻害し,地主・小作人の間に半封建的な身分関係を残した。また地主は米価維持の要求を実現するために政治に対する発言権を強めるなど,日本資本主義や国家権力の性格に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「寄生地主制」の意味・わかりやすい解説

寄生地主制
きせいじぬしせい

地主制

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