富士川町(読み)ふじかわちよう

日本歴史地名大系 「富士川町」の解説

富士川町
ふじかわちよう

面積:三〇・九二平方キロ

庵原郡の東端、富士川河口近くの西岸に位置する。東は富士川を隔てて富士市・富士宮市に、北は富士郡芝川しばかわ町、西は由比ゆい町、南は蒲原かんばら町に接する。東端を県道一〇号、南を国道三九六号およびJR東海道線が走る。地形は富士川沿いの低地、その西の段丘、さらにその西に連なる山岳地帯に分けられる。

旧石器時代の遺跡は発見されていないが、縄文時代遺跡は早期から晩期まで三六地点で確認されている。中心は北松野きたまつの地区と木島きじま岩渕いわぶち地区である。早期の遺跡としては、北松野地区の上野うえのおくがみ遺跡、木島地区の中井戸なかいど遺跡があり、楕円押型文土器・撚糸文土器が出土している。前期の遺跡では全国的に認知された木島式(通称おせんべい土器)の標式遺跡である木島遺跡が存在する。住居跡や土壙も検出され、出土物としては磨石・石鏃が目立つ。中野なかの台地上の遺跡からも前期土器が発見されている。中期の遺物は、北松野地区の送り神・太平おおだいらきたいと若宮わかみや、南松野地区の中野、中之郷なかのごう地区の薬師平やくしだいら小池こいけなどの遺跡から出土している。中期前半は低い台地と段丘上に立地し、後半の遺跡は高い丘陵上に立地することが松野地区で指摘されている。後期以後は再び低位段丘上に戻る傾向がみられ、北松野地区の大北おおきた遺跡では堀之内式期の敷石住居跡が確認されている。

富士川町
ふじかわちよう

2010年3月8日:南巨摩郡増穂町鰍沢町が合併
【増穂町】山梨県:南巨摩郡
【鰍沢町】山梨県:南巨摩郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富士川町」の意味・わかりやすい解説

富士川〔町〕
ふじかわ

山梨県西部,甲府盆地南西にある町。東部の市川三郷町との境界で釜無川笛吹川が合流し,富士川となって南流する。2010年増穂町と鰍沢町が合体。東部の青柳,鰍沢は江戸時代には富士川水運の河港,宿場町として繁栄。西部は赤石山脈の前山である巨摩山地で,山地に続く丘陵地と扇状地では果樹栽培が盛ん。ユズを特産する。東部の釜無川,富士川沿いの低地と支流の谷では米作が行なわれる。早くから機業が盛んであったが,近年は木臼など木工品や硯の製造で知られる。北西櫛形山ハイカーが多く,金山鉱泉,小室山妙法寺がある。西部は南アルプス巨摩県立自然公園に属する。中部横断自動車道,国道52号線,140号線が通る。面積 112.00km2。人口 1万4219(2020)。

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