富士田 吉次(2代目)(読み)フジタ キチジ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「富士田 吉次(2代目)」の解説

富士田 吉次(2代目)
フジタ キチジ


職業
長唄唄方

本名
上松 吉兵衛

別名
前名=富士田 千蔵(6代目)(フジタ センゾウ)

生年月日
弘化2年 10月7日

出生地
甲斐国甲府(山梨県)

経歴
江戸長唄謡いの名家。父は常磐津音羽太夫、3代松永和楓の門弟。常磐津を学び、次いで長唄を岡安源次郎に師事、上京して和楓についてさらに長唄を磨いた。松永鉄十郎を名乗り鳥越の中村座、および新富座、明治座などに出演。地方巡業に出て静岡興行のとき、5代目千蔵を称した村田久七から富士田千蔵の名を譲り受け、明治32年6代目千蔵を襲名して立唄格になり、各座を転勤。37年富士田吉次の名を復活して2代目を継いだ。

没年月日
大正8年 4月19日 (1919年)

家族
父=常磐津 音羽太夫,息子=富士田 音蔵(5代目),娘=富士田 吉次(3代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「富士田 吉次(2代目)」の解説

富士田 吉次(2代目)
フジタ キチジ

明治・大正期の長唄唄方



生年
弘化2年10月7日(1845年)

没年
大正8(1919)年4月19日

出生地
甲斐国甲府(山梨県)

本名
上松 吉兵衛

別名
前名=富士田 千蔵(6代目)(フジタ センゾウ)

経歴
江戸長唄謡いの名家。父は常磐津音羽太夫、3代松永和楓の門弟。常磐津を学び、次いで長唄を岡安源次郎に師事、上京して和楓についてさらに長唄を磨いた。松永鉄十郎を名乗り鳥越の中村座、および新富座、明治座などに出演。地方巡業に出て静岡興行のとき、5代目千蔵を称した村田久七から富士田千蔵の名を譲り受け、明治32年6代目千蔵を襲名して立唄格になり、各座を転勤。37年富士田吉次の名を復活して2代目を継いだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「富士田 吉次(2代目)」の解説

富士田 吉次(2代目) (ふじた きちじ)

生年月日:1845年10月7日
明治時代;大正時代の長唄唄方
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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