寒村(読み)かんそん

精選版 日本国語大辞典 「寒村」の意味・読み・例文・類語

かん‐そん【寒村】

〘名〙 貧しくて人けのない村。さびれた村。貧村僻邑(へきゆう)
※良寛詩(1835頃)米沢道中「千峰落葉風雨後、一群寒村帯夕陽」 〔盧綸‐送李緗詩〕

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デジタル大辞泉 「寒村」の意味・読み・例文・類語

かん‐そん【寒村】

貧しい村。さびれた村。

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日本歴史地名大系 「寒村」の解説

寒村
しぼさむむら

[現在地名]中川なかがわ郡池田町字大通おおどおり・字大通南おおどおりみなみ・字西一条にしいちじよう・字西二条にしにじよう・字西三条にしさんじよう・字東一条ひがしいちじよう・字東二条ひがしにじよう・字旭町あさひまち・字清見きよみ・字川合かわい・字豊田とよた・字青山あおやま・字利別西町としべつにしまち・字利別本町としべつもとまち・字利別東町としべつひがしまち・字利別南町としべつみなみまち・字清見ヶ丘きよみがおか・字昭栄しようえい・字千代田ちよだ・字信取のぶとり河東かとう音更おとふけ町字長流枝おさるし・字長流枝幹線おさるしかんせん

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三九年(一九〇六)まで存続した中川郡の村。南東流する十勝川と利別としべつ川の合流点北方に位置する。南は同郡豊頃とよころ(現豊頃町)、西は蝶多ちよた村、北は誓牛ちかうえうし村に連なるが、村の境界は判然としない(状況報文)。村名はシホムサム(大小区画沿革表)、セイオロサムなどとも読まれたが(状況報文)、実際にはシボサムで、チョウカンと通称されることもあった(池田町史)近世はトカチ場所のうち。「戊午日誌」(報十勝志)には「セヲロシヤム」とあり、「其名義は蜆多く有るよりして号しとかや」とし、アイヌの家一軒(家内六人)があった。明治初年「セヲロシヤム」、トシベツフトなどの地を包含して村が成立。同四年の駿河静岡藩支配下の「セヲリサム」村の戸口はアイヌ三戸・一八人、うち男女各九(蝦夷の灯)

寒村
しぼさむむら

明治三九年(一九〇六)から大正二年(一九一三)まで存続した中川なかがわ郡の村。明治三九年四月、凋寒村のうち蝶多ちよた村分割線と凋寒村境界との交差点より分水嶺を越えて士幌しほろ川支流オサルシ川(長流枝内川)水源の山上に至る線の以西を除く区域(以西は河東郡音更村に編入)、同じく蝶多村のうち十勝川河岸字タンネピラより真北に上り、山脈を越えて凋寒村の境界に至る線以東の区域(以西は河東郡音更村に編入)、および十弗とおぷつ村・様舞さままい村・誓牛ちかうえうし村・信取のぶとり村・蓋派けなしぱ村・居辺おろぺ村が合併、二級町村として成立した(内務省令一号)。同年の戸口は一千五八五戸・七千一六五人、うち男三千八二七人・女三千三三八人(道戸口表)

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普及版 字通 「寒村」の読み・字形・画数・意味

【寒村】かんそん

寂しい村。

字通「寒」の項目を見る

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