寛平の治(読み)かんぴょうのち

山川 日本史小辞典 改訂新版 「寛平の治」の解説

寛平の治
かんぴょうのち

宇多天皇時代の887~897年(仁和3~寛平9)の政治をさす。とくに891年1月の関白藤原基経死後の政治に限定するのが一般的。宇多天皇は文人菅原道真(みちざね)を蔵人頭(くろうどのとう)に迎え,能吏の聞え高い南家の藤原保則(やすのり)を左大弁に任じるなど,北家藤原氏を意識した親政を始め,律令政治の復興をはかるとともに,蔵人所による宮廷運営,年中行事整備などを行った。この路線醍醐天皇にうけつがれ,いわゆる延喜の治がうまれる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の寛平の治の言及

【宇多天皇】より

…その死後天皇は東宮より内裏に入って親政をはじめ,菅原道真,藤原保則ら有能な官人を用いて地方政治の刷新に努めた。これを〈寛平の治〉という。しかし故基経女の中宮温子が皇子を生まぬ以前にと,女御藤原胤子の生んだ皇太子敦仁親王に897年譲位した。…

【延喜・天暦の治】より

…天皇親政下に儒教的政治理念にかなった正しい政治が行われ,文運隆盛の聖代であったとされる。〈延喜の治〉は,〈寛平の治〉と称される宇多天皇の治世をうけ,荘園整理など地方行政への施策や,延喜格式・儀式や国史(《日本三代実録》)の編修,銭貨改鋳(延喜通宝)など実質的には解体しつつある律令政府の健在を誇示する事業が行われ,努力は認められるが,その実績には限界があった。また初の勅撰和歌集である《古今和歌集》の撰進など文運も盛んであった。…

※「寛平の治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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