対日ボイコット運動(読み)たいにちボイコットうんどう

改訂新版 世界大百科事典 「対日ボイコット運動」の意味・わかりやすい解説

対日ボイコット運動 (たいにちボイコットうんどう)

日本の強引な政治的,経済的進出に反対する,日貨排斥名目とする中国の民族運動。全国的規模の対外ボイコット運動は,1905年(光緒31)の対米ボイコットに始まるが,そのうち対日ボイコットは,08年の第二辰丸(たつまる)事件(辰丸事件)に関するもの以下,09年の安奉鉄道改築問題,15年の二十一ヵ条要求反対,19-21年の五・四運動と続き,ことに1923年の旅順・大連回収要求運動以降は,中国共産党の成立,労働運動の激化等を反映して,経済絶交運動と名を改め,1925,26年の五・三〇事件に関連する運動,1927,28年の山東出兵反対,1928,29年の北伐,済南事件に関するもの,1931,32年の満州事変上海事変に反対する経済絶交運動など十数回におよんだ。1905年の対米ボイコット運動と,五・三〇事件に関する対英経済絶交運動を除くと,他のすべてが市場開拓を急ぐ日本の強引な進出反対に集中しているのが特徴である。

 ボイコット運動は一般的には外国商品等の不買・排斥を意味するが,中国の場合は広義に解釈され,当該国の商船,会社,病院,学校,個人とのいっさいの経済的・社会的関係の断絶を意味する。それだけに,相手に与える打撃は大きかった。中国側は,対日ボイコットの機会を利用して,それを保護関税の代用とみなし,自国産業の保護,育成,発展,さらに労働者の雇用口の拡大とともに,民族運動の高揚をはかった。したがってその指導者は,最初は民族資本家層であったが,ついで知識人層,中共成立後は労働者階級と変わり,その範囲も拡大,深化した。対日ボイコットは,それぞれの時点の日中両国の政治・経済情勢を反映しているが,第1回目の辰丸事件のボイコット運動は,次のとおりである。直接の動機は,辰丸の武器弾薬の密輸事件に発する。それを日本側は中国官憲の船舶不法拿捕(だほ),日章旗引き下ろし・侮辱事件にすりかえ,最後通牒まで発して強引に陳謝させた。おさまらなかったのは中国民衆である。革新運動の先駆的役割を演じる広東自治会を中心に,日本商品と競争的立場にあった広東七十二行,南北行等民族資本家層を結集して戦ったが,弱腰の清朝政府および官憲にまったく気力なく,失敗に終わった。
排日運動
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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