対華二十一か条要求(読み)たいかにじゅういっかじょうようきゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「対華二十一か条要求」の意味・わかりやすい解説

対華二十一か条要求
たいかにじゅういっかじょうようきゅう

第一次世界大戦中、日本の在華権益の拡大を図った要求。第一次大戦に参戦した日本は、ドイツの膠州(こうしゅう)湾撤退を要求、成功すればドイツの利権を中国に返還すると声明した。しかし、日本は、戦争により被った人的・物的損害の代償という形で、従来の日中間の諸懸案をも一挙に解決し、さらに新権益を設定することをねらい、1915年(大正4)1月、駐華公使日置益(ひおきえき)を通じ、要求を中国(袁世凱(えんせいがい)政権)に提出した。その内容は、第1号=山東(さんとう)省を日本の勢力範囲に置く四か条、第2号=満蒙(まんもう)の独占的支配を策する旅順(りょじゅん)と大連(だいれん)の租借権、満鉄権益期限の99か年への延長など七か条、第3号=漢冶萍公司(かんやひょうコンス)の日中合弁に関する二か条、第4号=中国福建(ふっけん)省(台湾対岸)の外国への不割譲・不貸与一か条、第5号=希望条項七か条(日本人の政治・財政・警察顧問招聘(しょうへい)、日本の兵器受給など)であった。加藤高明(たかあき)外相の主眼は第2号で、元老軍部財界などの要望を盛り込み、そのため21か条に膨張したといわれる。なお第5号は希望条項として秘密交渉にゆだね、親交国にも秘密とした。中国側は過大な要求に反対、交渉は4月26日まで25回開かれたが難航した。中国は一部の要求しか認めず、かつ第5号を外国に暴露して日本の横暴を大きく宣伝したため、アメリカの抗議的覚書の提出、イギリスの質問などがあった。一方、国内世論は大部分が賛成した。政府は4月26日に要求を若干緩和し、5月7日には第5号を削除(元老の反対のため)したうえ、5月9日期限の最後通牒(つうちょう)を出し中国は受諾した(中国は5月9日を国恥記念日とする)。最終結果は当初とかなり相違したもので、満蒙関係など条約九か条、山東関係条約四か条、満蒙優先権など交換公文八件、二声明、一対日声明が実現した。この要求は、中国の民族主義興隆を看過し、日中関係を決定的に悪化させ、外国の猜疑(さいぎ)を招き、ワシントン会議の結果10件に縮小された(10件は日本の敗戦まで継続)。

山本四郎

『堀川経夫著『極東国際政治史序説』(1958・有斐閣)』『外務省編『日本外交文書 大正4年第3冊 上』(1968・外務省)』『伊藤正徳著『加藤高明』上下(1929・同書編纂委員会/復刻版・1970・原書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android