尊円法親王(読み)そんえんほうしんのう

精選版 日本国語大辞典 「尊円法親王」の意味・読み・例文・類語

そんえん‐ほうしんのう ソンヱンホフシンワウ【尊円法親王】

[一] 後鳥羽天皇皇子。貞久の乱後備前国(岡山県)に流され、二五歳で没した。承元元~寛喜三年(一二〇七‐三一
[二] 伏見天皇第六皇子。二品。天台座主歌人。初名守彦のち尊彦。書家としては青蓮院流の祖。世尊寺行房、その弟子行尹に書法を学び、のち、みずから一流をおこした。著「入木抄」。永仁六~正平一一年(一二九八‐一三五六

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デジタル大辞泉 「尊円法親王」の意味・読み・例文・類語

そんえん‐ほうしんのう〔ソンヱンホフシンワウ〕【尊円法親王】

[1298~1356]伏見天皇の皇子。名は守彦。青蓮院しょうれんいん門跡となり、のち、天台座主ざす。書にすぐれ、青蓮院流を開いた。著「入木じゅぼく抄」。尊円親王

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「尊円法親王」の意味・わかりやすい解説

尊円法親王
そんえんほうしんのう
(1298―1356)

能書で知られる南北朝時代の僧侶(そうりょ)。伏見(ふしみ)天皇の第六皇子、母は修理大夫三好俊衡(しゅりだゆうみよしとしひら)の娘衡子(ひらこ)(播磨内侍(はりまのないし))。1308年(延慶1)青蓮院(しょうれんいん)に入って親王宣下を受け、尊彦(たかひこ)と名のった。11年(応長1)大成院において薙髪(ちはつ)入道し、名を尊円と改め青蓮院門跡(もんぜき)となる。以後、常寿院別当、無動寺三昧(むどうじさんまい)院検校(けんぎょう)を経て、31年(元弘1)天台座主(ざす)となって以来、四たびその任についた。書は世尊寺行房(せそんじゅきふさ)・行尹(ゆきただ)兄弟に教えを受けて伏見天皇譲りの天賦の才を磨き、また上代(じょうだい)様の書を自ら学び、さらに宋(そう)の張即之(ちょうそくし)の書風を加味して、古典に立脚した独自の書風を完成した。以後、その書風は青蓮院流として一つの大きな書流となり、江戸時代には御家(おいえ)流と名を変えて、後世まで永い命脈を保った。その著『入木抄(じゅぼくしょう)』は後光厳(ごこうごん)天皇のために撰進(せんしん)したものであるが、法親王の書道観が述べられたもので注目される。真跡懐紙消息など多数が伝存する。

[島谷弘幸]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尊円法親王」の解説

尊円法親王 そんえんほうしんのう

1207-1231 鎌倉時代,後鳥羽天皇の皇子。
承元(じょうげん)元年生まれ。建保(けんぽ)5年出家し,聖護院にはいる。同年一身阿闍梨(あじゃり)となり,6年親王。寛喜(かんぎ)3年10月10日死去。25歳。

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