小島祐馬(読み)オジマスケマ

デジタル大辞泉 「小島祐馬」の意味・読み・例文・類語

おじま‐すけま〔をじま‐〕【小島祐馬】

[1881~1966]中国思想史家。高知の生まれ。京大教授、京大人文科学研究所初代所長。著作に「古代支那研究」「中国思想史」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小島祐馬」の意味・わかりやすい解説

小島祐馬
おじますけま
(1881―1966)

中国哲学研究者。高知県生まれ。京都帝国大学経済学部・文学部卒業。のち同大学文学部教授(支那(しな)哲学史専攻)。1920年(大正9)、本田成之(ほんだしげゆき)(1882―1945)、青木正児(あおきまさる)とともに雑誌『支那学』を創刊。この雑誌は、それまでの日本の「支那学」研究が多少とも残していた江戸漢学的臭みを一掃する画期的な意味を有した。小島の中国哲学研究は、唯物史観的方法論にたち、たとえば孔子なり墨子(ぼくし)なりの背後の社会環境からその思想を説明しようとする。しかも孔子や墨子の倫理説よりも、政治経済説に多く興味を抱く。フランスの「シナ学」の民俗学的方法論をも早く吸収した。著書に『古代支那研究』『中国の社会思想』『中江兆民』などがある。

本田 濟 2016年3月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「小島祐馬」の意味・わかりやすい解説

小島祐馬 (おじますけま)
生没年:1881-1966(明治14-昭和41)

中国思想史家。高知県生れ。号は抱甕。1922-41年京都大学支那哲学史講座助教授,教授。京大人文科学研究所初代所長。狩野直喜内藤虎次郎門下である。清朝考証学をふまえつつ社会科学的方法を用いて,漢学的道学臭を一掃した多くの先駆的論文を発表。青木正児,本田成之と1920年雑誌《支那学》を発刊したことは,日本の中国研究史上画期的事件であった。《古代支那研究》(1943),《中国の革命思想》(1950),《中国の社会思想》(1967)などのほか,中江兆民に関する研究もある。河上肇終生の友であった。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小島祐馬」の解説

小島祐馬 おじま-すけま

1881-1966 大正-昭和時代の中国哲学者。
明治14年12月3日生まれ。大正9年青木正児(まさる)らと「支那学」を発刊。15年フランスに留学し,昭和6年京都帝大教授となる。14年同大人文科学研究所初代所長,24年学士院会員。昭和41年11月18日死去。84歳。高知県出身。京都帝大卒。著作に「古代支那研究」「中国思想史」など。

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