日本大百科全書(ニッポニカ) 「小川(熊本県の旧町名)」の意味・わかりやすい解説
小川(熊本県の旧町名)
おがわ
熊本県中部、下益城(しもましき)郡にあった旧町名(小川町(まち))、現在は宇城市(うきし)の東南部を占める地域。旧小川町は1889年(明治22)町制施行。1958年(昭和33)海東村、益南(えきなん)村と合併。2005年(平成17)三角(みすみ)町、不知火(しらぬひ)町、松橋(まつばせ)町、豊野(とよの)町と合併、市制施行して宇城市となった。「小川」の名は砂川(住吉川)の古名小川にちなむ。断層線崖(がい)で東西に二分され、東半は古生代の堆積(たいせき)岩(三波川(さんばがわ)変成岩、秩父(ちちぶ)系)、中生代の花崗(かこう)岩類からなる低山地・丘陵、西半は沖積層の低地と17世紀の干拓地で占められている。JR鹿児島本線、国道3号が通じる。
中心集落は1420年(応永27)創設の古き官道(八代(やつしろ)往来)の駅所で、それ以降、八代平野東部の在郷町の一つとして、また九州山地中の自然村への物資供給地として栄えてきた。低山地・丘陵の養蚕、製糸からミカン、ショウガ、低地の稲作、その裏作としてのイグサ栽培から施設園芸としてのカボチャ、キュウリ、トマト、イチゴなどへの転換は1960年代前半から始まったもの。三宝寺(さんぽうじ)は鉄眼(てつげん)禅師出生の寺で、遺品や一切経版木などが保存されている。
[山口守人]